鞍馬天狗

夢寐のたわごと

鵜の目、鷹の目

先日、所要があって、私の住処(相鉄線二俣川付近)から、東横線日吉辺りまで行った。 時間帯が、通勤者、通学者たち若者が、電車を利用する頃と重なっていたので、タクシーを利用した。

 

帰途は、幸いラッシュアワーを外れていたので、電車を利用したが、日吉の駅で、思わぬバリアーに出くわした。 私は、90歳近い、いわゆる高齢者である。

日吉駅まで、杖を突きながら、ゆっくりと到達した。 ところが、駅の入り口が階段になっている。 老人には、危険である。 駅構内は、エレベーターなどが、設備されて、バリアーフリーになっているのだが、肝心の入り口が、いわば、入れないように成っている(東横線関係者諸君よ、これが私の誤解なら、ごめんなさい)。

 

これは、電鉄会社に限ったことではない。 病院でもそうである。 身体の調子が悪い。 では、「何科」に掛るか?  適当に見当をつけて、適当と思う科へ急行することに成るが、素人の見当付けだから、「適当か、どうか」わからない。 では、開業医へ行け? それとて、「見当違い」なら、たらい回し、事によっては、命に関わる。 「気がきいて、間が抜けている」のが、大方の世間の仕来りである。

 

恐らく、これは、世間の目が、特定項目に注がれて、全体に向かないからであろう。 高齢者とて、人間である。 屁も放けば、飯も食う。 人口、数十万の小国でも、主要強国へは、外交官を派遣し、大使館とまでは行かなくとも領事館ぐらいは設置する。 高齢者とて、同じこと。 高齢者の外出を禁ずるのならともかく、寝たきりの高齢者ばかりではない。 何事も、大小に関わらず、トータルで、それこそグローバルに考えて貰いたい。

 

高齢者介護、保護もいいが、高齢者の「頭」までなら、散髪以外は御免こうむりたい。 歩けるうちは、歩く。 世間も、医者も、高齢者が「歩くこと」を奨励している。 歩き回って、識見を広めることは、年齢の上下を問わず、良いことの筈である。 世間が高齢者を邪魔にするなら、世間が悪い。 こんな世間にした覚えはない。 口先ばかりの「敬老」は、チャンチャラおかしい。