鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

固定観念

固定観念(こていかんねん)は、固着観念(こちゃくかんねん)とも云い、心理学の用語で、が何かの考え観念を持つとき、その考えが明らかに過ちであるか、おかしい場合で、他の人が説明や説得を行っても、あるいは状況が変わって、おかしさが明らかになっても、当人がその考えを訂正することのないような観念を指す[1]

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (2017/04/12 22:46 UTC 版)

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「お爺さんは、山へ芝刈りに、お婆さんは、川で洗濯に~」。 これは、日本の老人に対する固定観念の原点である。 ここに描写されているお爺さん、お婆さんは、何歳ぐらいであろうか? おそらく、50~60歳ぐらいであろう。

能楽(のうがく)の幸若舞に「人間、僅か50年~」とある。 幸若舞が流行した時代から推定すると、室町時代(昔)の人たちは、人生は50年ぐらいの生涯と考えていた節がある。 ところが、現代科学が認める人間の寿命は、100歳ぐらいを限度とする。 従って、現代の人生観もまた変わって然るべきである。

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幸若舞は、中世から近世にかけて、能と並んで武家達に愛好された芸能であり、武士の華やかにしてかつ哀しい物語を主題にしたものが多く、これが共鳴を得たので隆盛を誇った。 一ノ谷の戦い平敦盛熊谷直実に取材した『敦盛』は特に好まれた。・・・・・・・(ウイキペデイア)

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平敦盛は、17歳の若年で、熊谷直実に討ち取られた。 後年、討ち取った相手の年の若さを知って、直実は、世の儚さを知って法門をくぐった(平家物語)。

僅か50歳の寿命で、17歳で散ることが儚いのなら、100歳の寿命では、何歳まで華やかであれば満足出来るのか。 現代科学は、人間は死ぬまで現役であることを、可能にしている。 ただ、文明・文化として残る固定観念が、老人は「老いる者」と決め付けている。

 

固定観念は根つよい。 根が枯れるまで、蔓延(はびこ)る。 人生僅か50年の固定観念を、人生100年の観念に変えるのに、室町、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成と、数百年掛かったが、人間(文明・文化)を意図的に変えない限り、年代、いや、時代が代わるまで、生き続ける。

 

意図すべし。 思えば変わる(変えられる)。 現代を支配する思想は、科学である。 科学は人間のものであり、人生を延ばし、老人を若返えらせている。 若者も、意図せねば老化する。 固定観念は、岩盤の如く頑な(かたくな)ではない。 観念は人間のものであり、根強くしぶといが、柔らかい。 これは「融通観念」へ進化させるべきである。