鞍馬天狗

夢寐のたわごと

双頭の鷲

双頭の鷲は、二人の強力な(頭=リーダー)が、対峙して双立する有様を象徴する。 下記の歴史が示すように、そのような例が幾つかあった。

 

双頭は、多頭にも繋がる。 多頭、すなわち、権力者の乱立である。 乱立する権力者同士の争いが、事態の混乱を生む。 世相が混乱すれば、容易には、平穏は生まれない。 中東地方に於ける事態が見せる混乱に続く混乱。 こうして平穏は、遠いものに成る。 東北亜細亜には、イスラムが引き起こした宗教的混乱の懸念は、無いにしても、権力者間の闘争の危険は有る。

 

ローマ帝国の紋章の図柄は、当初は、「単頭」であったが、その後「双頭」へ展開し、引き続く長きに渡る多頭・混乱の時代へ繋がった。 この紋章の図柄の変化は、ローマ帝国のその後の運命を象徴・予言するかのように見える。 此度の隣国の双頭の基での一時的和平が、長期に渡る争闘へと展開せざることを、心から願うものである。 隣国の憂いは、日本国の憂いにも繋がるからである。

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「双頭の鷲」自体は古来より存在する紋章で、知られている最古の「双頭の鷲」の図像は、紀元前3,800年頃のシュメールラガシュの都市神ニンギルスに関するものである。 一説には、「双頭の鷲」と「単頭のライオン頭の鷲」は、同じものを表していると考えられている。 紀元前20世紀から7世紀の間のシュメールや、現在のトルコ地域のヒッタイトでも使用された。 また11-12世紀のセルジューク朝でも使用された。

ローマ帝国国章は単頭の鷲の紋章であったが、その後も帝国の権威の象徴として使われ続け、(一説には、イサキオス1世コムネノスが「単頭の鷲」を故郷アナトリアの聖獣である「双頭の鷲」に変更させたとする言い伝えがある)、13世紀の東ローマ帝国末期のパレオロゴス王朝時代に「双頭の鷲」の紋章が採用された。 この紋章は元々はパレオロゴス家の家紋との説もある。東ローマ帝国における「双頭」は、「西」と「東」の双方に対するローマ帝国の支配権を表したが、実際には「西」(過去の西ローマ帝国の支配領域)の支配権を既に失っていった時代である。

東ローマ帝国の「双頭の鷲」は、ギリシャ正教会コンスタンティノープル総主教庁セルビアアルバニアなどに継承された。 セルビアの「双頭の鷲」の多くは白色である。

またローマ帝国の継承を自負する神聖ローマ帝国ハプスブルク家の紋章となり、更にオーストリア帝国オーストリア=ハンガリー帝国ドイツ国などに継承された。 1472年には東ローマ帝国の姫ゾイ・パレオロギナを迎えたロシア帝国も「双頭の鷲」を採用した。 東ローマ帝国滅亡後は、ロシア帝国ローマ帝国の後継を自負し、その「双頭」は、「東(アジア)」と「西(ヨーロッパ)」に渡る統治権を表した。 また16世紀にハプスブルク家出身で神聖ローマ帝国皇帝となったスペイン国王カール5世(カルロス1世)によりスペインの国章にも一時使用された。これらハプスブルク家関連の「双頭の鷲」の多くは黒色である。

20世紀前半に、ロシアはロシア革命によりソビエト連邦に、セルビアやドイツ東部(東ドイツ)は第二次世界大戦の結果として社会主義国となり、「双頭の鷲」は皇帝の象徴として国章から削除された。しかし1990年代のソ連崩壊東欧革命により、それぞれ復活された。

・・・・・・・・・(ウイキペデイア)

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双頭の並立(へいりつ)は、難しい。 ましてや、人類の過去の歴史が示すように、一方の頭領が民衆より選ばれ、他方の頭領が世襲で定められた独裁者では、容易に、多頭(=多党派)の間の「争闘」へ拡がる。 双頭和平の将来への懸念があって然るべきだろう。 隣国の双頭の和解が、一時的なもので非らざるを望む。