鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

茶飲み友達

一言で「茶飲み友達」と言うが、実のところ、本当の意味の茶飲み友達は、探すのに苦労する。 格好の茶飲み友達が居ないのである。 「茶を飲む」だけなら、友達はいる。 飲んで、話して、の「話して」の相手が居ないのである。

 

心を許して、話し合うには、「許す」気持ちが必要である。 迂闊な相手には、そう簡単には、心が許せない。 こちらの気持ちが狭いのか、あちらに隙きがないのか、警戒ばかりが先に立って、結局「許せない」ことになる。

 

親友は、心友ともかくが、意味が少し違うようだ。 「茶飲み」じゃなくて、「酒飲み」友達なら、いくらも入るかもしれないが、本当の「心の」友は、仮にいたにしても、人生に数人にとどまるだろう。 いや、独りも居ないこともあるかもしれない。

 

心友は、双方が「そっ啄同時で」心を開く関係じゃなくてはならない。 双方が心を開くのは、「一方が開けば、すれば他方も開く」という駆け引きの「開き」じゃない。 「卒啄(そったく)同時」の心の開き合いだ。 

 

本当の茶飲み友達の「売り物」はない。 買おうとしても、買えないのだ。 茶飲み友達は、売り物じゃなくて、「買い物」だ。 掘り出し物があれば、その時が買うチャンス。 滅多にない「掘り出し物」だから。