鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

知らないこと

「自分が知らないことは、相手に知らせてはならない」。 ましてや、「自分が知っていることも、相手に知らせない」のは、「へんねし(嫉妬)」である。 自分が知っている、知っていない、は、表面上、「知」に関わることを言っているので、知的(理性的)対応のように思えるが、心が広い、狭いと言うように、へんねし(これ)は、感情の問題である。

 

「理性が良く、感情が悪い」、というのではない。 この2つを混同したり、すり替えたりするのが、誤りであり、悪行である、と言いたいのである。 この誤りを利用して、他人を騙し、操作する詐欺的悪行が、横行しているのを防ぎたいのである。 あたかも「理」に訴えるがごとく、「情」を揺さぶる悪行を止めさせたいのである。

 

他人の無知を利用して相手の弱みを抑え、それを手掛りに相手をやり込めるのは、広い意味での詐欺・恐喝の一種である。 要するに、相手に負けたくないという気持ち(感情)から、相手をやり込め、相手から何がしかの金銭なり、利得なりを奪い取ろうとする卑劣な手口だと言える。 

 

政治家がよく使う手口に「相手の弱みを握る」方法があるが、これは公明正大な対応を旨とする高潔な人物のすることではない。 応接の出発点から、自分を高みに置くのは、「卑怯」である。 状況的に、自分が高みに置かれて居ると事前に知ったら、その時点で、まず、自ら進んで、潔く高みから降り、対等の姿勢で交渉を始めるべきである。

 

天上天下、顧みて悔いの無い」の心境で物事の応接に当たるのは、「言うは易く、行うは難い」ことであるが、国民の幸福、福祉、安寧、を経営・管理する政治家は、日頃から、「悔いのない」姿勢・態度を保つべきである。 国民の知らないこと(に知らせないこと)を種に政治を経営し、国民を欺き通す政治家・行政官は、言うまでもなく、追放すべきであるが、国民の側にそれを見抜く目、知恵、技、がない。

 

以上で明らかなように、「知らないこと(無知)」は格好の餌であり、「知らせないこと」は、狡知な制御手段であることを知るべきである。