鞍馬天狗

夢寐のたわごと

社会的高齢者虐待

この虐待は、意図されたものではないと思う。 しかし、結果的に高齢者に大きな不利を与えている。 それは、諸交渉、取引、大きく言ってトランズアクシオンの殆ど全ての面で、高齢者を不利、不便な立場へ追い込んでいる。

 

その不利、不便は、数え上げればキリがない。 例えば、保険の申込みや物品の注文についても、インターネットで申し込むと、掛金や価格が安い。 街のレストランで食い物を注文に当たっても、料理見本が畫面で(しばしば、画像がイメージ写真で、現物とは異なる)示され、高齢者は注文に当たって、慣れない手続きの操作を強いられる。

 

高齢者が一念発起して、インターネットのやり方をパソコン教室などで、覚えようとしても、教室側が自分たちの都合に合わせて作った「教授計画」に基づいて、習う側の都合、心の準備を考慮もせずに、高い料金を採りながら衰えた高齢者の頭脳へ捩じ込もうとする。 他方、パソコンに詳しい若者にやり方の教えを請おうものなら、ケンモホロロの扱いで、高齢者を扱う(時に、誇らしげな、あざ笑いすらもする)。。 

 

社会全体が、意図するところではなかろうが、自分(若者?)たちの都合中心に回わり、高齢者は置き去りにされている。 これは、社会を構成する人間たちの為せるところではなく、社会の仕組みがそうなっているのである。 そのような社会を誰が作った? 多数決?  否、高齢者の数は、増えている。 程なく、高齢者が多数を占める社会が来ようとしている。 場当たりで対策を講じるのではなくて、来る未来の社会のための策を、未然に講じるべきである。