鞍馬天狗

夢寐のたわごと

レアルとヴァーチャル

一回、¥600で「買物を代行」をして呉れる。 日頃、施設内に閉じこめられ、日々車椅子の生活を強いられている人にとっても、「買物」をすることは楽しみであり、「必要」でもある。 ずっ~と考えて(想像=イメージして)いた品物を、買物で手に入れるのである。 首を伸ばしてと云うよりも、車椅子から半身乗り出して、買い物代行人が帰ってくるのを待っている。

 

「やっぱり、自分の目で見なけりゃ、ダメだね。 凡その所は似ているけど、これは欲しいものじゃないよ。 代行賃(料)を払うよりも、タクシー料金を払って自分で買いに行った方がましだね」。 

 

イメージは、人それぞれで違う。 言葉は、実物を映すけれども、言葉は実物じゃない。 まして、言葉で説明した実物のイメージは、正確な実物のコピーとは限らない。 その不正確なコピーを聞いて買いに行った人物の心に描かれたイメージが、買い手が元々心に描いていたイメージと同じであろう筈がない。

 

言葉は、人間の心をそのままに写し採ることは出来ない‥「得も言われぬ」という表現もある。 話がだんだんややこしくなってきたね。 それじゃ、厳密な意味での相互の理解は出来ないじゃないか。 お互いの相互交流なんていっても、土台、無理な話だ。 顔が違えば、心も違う。 以心伝心なんて、元々、嘘っパチなんだ。

 

実際に物事を見るのは、自分だ。 実見と伝聞とは違う。 自分と他人は違う。

ヴアーチャル(仮想)は、自分が見たレアル(現実)ではない。 納得は得心ではない。 いくら納得するように説明されても、得心出来るとは限らない。

疑い深いようだが、自分が確信するためには、得心が必要である。 もちろん、他人を得心させるためには、自分だけの確信(?)じゃ無理なんだ。 他人の確信も必要なんだ。

 

いくら口を酸っぱくして、「そうなら、私はXXとYYも辞職します、と頑張っても、自分が得心もしていない事柄について、他人を納得させることは出来ないよ」。 それじゃ、俯仰天地に恥じざる行為だと言える筈がない。 自分で、「得心」してから、頑張りな。 自分で得心しているかい?  顔色が悪いよ!