鞍馬天狗

夢寐のたわごと

連絡船

 

最近、インドネシアで、連絡船(フエリ・ボート)が、座礁、沈没したと報じられた。 何人かの人が、溺れて亡くなったとも聞く。 痛ましい話だ。 咄嗟に、韓国で起こったセオール号のことも、思い出した。 溺れて死ぬのは、死んでゆく当人たちにとっては、苦しいことだと思う。 このような事件は、大抵の場合、人災であると思う。 為政者の側の無能、無策、と事業家の側の「強欲」が原因していることが多い。 

 

安全を慮て(おもんばかって)、「沿岸航路」を取っていたと、屁理屈を事業家は並べる。 自己防衛の最たるものだ。 昔の一枚帆の比較的小さな「和船」は、遣隋使、遣唐使を中国大陸へ日本から安全に渡航させるためには、船から陸が見える沿岸を航行するのが、一番であった。 つまり、まず、対馬海峡朝鮮半島へ渡り、それから朝鮮半島を沿岸沿いに北上し、晴れた日には大陸の山東半島の突端が見える(私は、黄海を船で渡ったことがないので、本当のことは知らない)、ところまで行き、そこから大陸へ渡ったと聞いている。

 

経験に富んだ船長なら、沿岸の地域には、岩礁が多いことも心得ていた筈だ。

座礁?」 貨物搬送用の船を流用した? 乗客数が多すぎた? 経験に富んだ船長なら、こんな素人の私にも判る「無理」を冒す筈がない。 事業家か、政治家か、の強制? そして、無辜の人達や(年若い高校生)が死んでいった。

 

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「この世をば、我が物と思えば、望月の欠けたるところも無しと思えば」と詠んだ藤原道長の心境は、現代のどこかの総理大臣の心境とどこか似ています。

廟堂(びょうどう、政治を司る所。朝廷)、外戚(がいせき、母方の親類。 天皇の后に自分の娘を入内させる:娘が居るのかなぁ)のすべてを固めるなど、「望月の欠けたることも無しと思へば=もう自分の思うようにならないことは一つもない」と、道長は彼の悲願であった藤原摂関家(お友達)の揺るぎない地盤を完成を確信して、栄華の象徴としてこの歌を詠んだのでしょう。

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悪の根源は、政治家と事業家の癒着にあります。 「天誅を!」と願う人達も多いと思います。 でも、何も出来ないのです。 奴らは、その事を見越しています。 敵は、数を誇っています。  数なければ、民主主義体制下では、されるがままです。 その数にあなたも含まれています。