鞍馬天狗

夢寐のたわごと

寸 志(すんし)

 

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寸志」とは、別名「心付け」とも言われ、世話になった方への御礼や感謝の気持ちを表す「少しばかりの金銭や品物」を意味します。 金額的には、千円から五千円程度が目安です(2018年)。 お金で寸志を渡す場合には、白い封筒の表側に「寸志」と表書きをするのが一般的です。 品物で寸志を渡す場合には、「寸志」と記載された熨斗(のし)をつけます。

ビジネスシーンにおいて、「寸志」は、目上の人から目下の人に対して渡す心付けを意味します。目下の人から目上の人に渡す場合には、「寸志」という表現は相手に失礼にあたるため使用せず、「御礼」や「ご挨拶」といった敬意を込めた名称で表現されます。・・・(ウイキペデイア)

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玄関の受付を後ろにして、自室へ戻ろうかなと歩いていると、後ろで声がする。

「ほんの、気持ちですから」。 はは~ん、誰かの家族だな。 職員に、何か贈り物をしようとしているのだ。 

 

近頃は、「気持ち」というのが無くなった。 もちろん、寸「志」と言うわずかばかりのこころざしも無い。 気持ちやわずかのこころざしは、チーンと金銭登録機なり、音もなくコンピューターに登録されるなりで、一定額のサービス料金として自動的に口座から引き去られる。

 

まして、玄関先で、「気持ち」をひけらかすとは、言語道断。 「いらん。 当施設では、ご家族様や入居者、その他業者からの、賄賂めいた贈り物は、一切受け取らないことにしております」。 「そうは、おっしゃらずに、ほんの気持ちなんですから」。 「さぞかし、いい気持ちでしょうね」。 「我々の方では、気が済まないんですよ」。

 

物を施すことは、「優越感」を感じさせる。 わずかの金(物?)を、受け取る受け取らないで、揉めるのは、誠に浅ましい。 いや、わずかの金(物)を受け取る受け取らないの問題ではない。 これは、人間の「矜持」の問題である。  気持ちとは言い条、その実、「お礼」である。 他人のお礼(尊敬の気持ち)を受け取らないとは失礼ではないか!