鞍馬天狗

夢寐のたわごと

先読みの迷惑

敢えて「賢い」と言おう。 先が読める奴がいる。 その道の専門家に多い。
先が読めるから、次々と新しいことを考え出す。 そして、「ご丁寧に」実験する。 それは良い。 だが、実験するには、「実験台」が必要である。 しかし、
都合に良いことに、実験の対象となる群衆(大衆)が居る。 

 

大衆は、先を読んでいないが、「今まで」に慣れている。 今まで、つまり、現実は現実に動いている。 その現実こそが、慣れたこと。 そこへ、先を読んだトンチキ野郎が、「新しいもの」を当てはめようとする。 そんな「珍奇」は、大衆の肌に合わない。

 

トンチキ野郎の数は少ない。 どの道に於いても、専門家の数は少ない。 だから専門家なのだが、苦労するのは「珍奇」を押し付けられ、実験台にされる多くの「(大)衆」だ。

 

慣れないものでも、「なれると便利」というものも有る。 大衆が「便利だ」と叫べば、「それ見てご覧」と「してやったり」とシタリ顔で快哉するお調子者の専門家の数も多い。

 

こうした「先読み」が大衆に与える例は、数知れない。 下手な工夫は、「せん」方がまし。 「せんでもいい」工夫の例としては、早い(遅いか)話が、未だにあれこれ「弄り回している」Windows 10。