鞍馬天狗

夢寐のたわごと

権威主義(A)

権威主義は、よそ事ではない。 この日本の国にも、蔓延(はびこって)いる。 概して、儒教が盛んであった、そして盛んである国に、身分差別、男女差別、が横行している。 ちなみに、文化は、ほぼ言語で代表されると思うが、儒教文化圏では、言葉使いに、権威主義的な「差別感=権威主義」が埋め込まれている。

例えば、一時期問題となった「忖度(そんたく)」がそうである。 この言葉には、身分意識が分かち難く潜在している。 文化の中に、身分意識(権威主義)が埋め込まれているのであるから、例えば、いろいろな「敬語」に表されるように、身分意識、差別意識は、生活の中にも、染み込んでいる。

さらに例を上げれば、「あしらい」もそうである。 誰かをあしらうのは、相手を軽く見て「いなす」ことに繋がる。 他人から相談を受けて、「考慮する」と答えるのは、応える側の優位な姿勢=態度を窺わせる。 こうなってくると、日常の会話すら、「威勢」の有無、社会的、年齢上、身分上の「へりくだり」などが感じられて、おそそかに、話し合うことも出来ない。

仮に儒教文化というものがあるとすれば、東北アジア儒教が拡がった諸国の
全てに「孔孟の教え」が行き届いていることになる。 では、孔孟の教えとは? 以下、幾つかの引用で説明を試みてみる。 意味は、お汲み取り下さい。

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山崎闇斎は部屋の奥の方に厳しい面持ちで端座していた。ぎっしり集まっている門弟たちは、先生の言葉を一言も聞き漏らすまいと静まりかえっていた。 突如として 「皆のものに尋ねたいことがある」と、闇斎の大きな声が障子をふるわせた。一同はぎくりとして我知らず平伏した。
 「外でもない。もし孔子が総大将となり、孟子が副将軍となって、大軍をひきいてわが国に押し寄せてくるような事があるとすれば、我々孔孟の道を学ぶものは、どうすればよかろうか。皆のものの覚悟の程がしりたい」。  思いもかけぬ難問であった。 誰も答える者はなかった。


不気味な沈黙が満堂の空気を鉛のように重くしていた。その時、 「不肖ども一同思案に余ります。 先生の思し召しをお伺いいたしとうございます」と、恐る恐る声があった。 闇斎はいつもより厳然として言いきった。  「不幸にしてそのような場合に出おうたならば容赦はいらぬ。 奮戦して孔孟をとりこにし、これを軍陣の血祭りに挙げるまでじゃ。 これが即ち孔孟の教えぞ」と。 今この見識がほしい。 今日、色んな言論が乱れ飛んで、己の信ずる教え、或は主義の為に、我のみ真実であるかのごとく振るもうて、他を排斥し、大義名分に反する行動が世の中を不安に陥れているのではないでしょうか。 

・・・・・・・・(ウイキペデイア)
注:山崎闇斎は、江戸時代の儒学者
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礼節謙譲の精神とは 礼節は礼儀と節度の短縮語になります。 そして謙譲のこころを持つ。
礼儀・節度・謙譲の精神とは礼儀正しく節度のある行い、そして謙虚な心である事ということになります。 へりくだり、ゆずる心で相手を高める、うやまう心が大切と言うことですね。 日本では、美しい心として相手に対して、礼儀正しく、へりくだって相手を立てて、事も進める精神が有ります。 日本人は何を考えているか解らないと言われますが、それを相手の立場に立って、考えて読み解き、相手を理解する努力が必要なのです。 だから、外国人には解らないのが日本人ですね。 近年は、「できるのなら言ってよね」という、自己主張のできる人が良いとされているグローバル社会が広がり、謙虚な心は読み取っていただけない奥深さが無いと言うか、薄っぺらな社会構造になってきているのが残念です。

各種選挙の立候補でも、出たい人は手を挙げる時代ですが、出たい人に投票したい人がいないのはなぜでしょうか。 以前は、本人は出る気はなかったが、皆さんから、どうしてもあなたにやって欲しいと押し出されて断れないほどの支援でやむなく決断した方に投票したものですが、近年めっきり居なくなりましたね。 米国流の合理的社会と言うのでしょうか、相手の気持ちを考えなくて済むというか、気持ちを読み解く必要が無くなったというか、美しくない様に感じます。 でも、世界各地では日本人ほど相手の心を読み解き、相手の立場を理解して対応する人は少ないと聞きますので、この精神は大切にして貰いたいです。
(中入り注:一つ、軍人=武士は礼節を重んずべし:軍人勅諭鞍馬天狗


相手のため公のために尽くして、それを自らは語らない謙虚な心、そして、そのことを理解されなくても良いと思える心が日本人の美しい心ではないでしょうか?
・・・・・ Weblio辞書
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五常(ごじょう)または五徳(ごとく)は、儒教で説く5つの徳目。仁・義・礼・智・信を指す。三綱(君臣・父子・夫婦間の道徳)とあわせ、「三綱五常」と表現することも多い。
・・・・・・・・・・・・・(ウィキペデイア)
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孔孟は、「権威」を説いた訳ではない。 むしろ、「譲る(ゆずる)こと」、「謙る(へりくだる)こと」を教えている。 譲ること、謙ることが、逆に「威張ること」を教えたと受け取るのは、それは、習った方の思い上がりである。 
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親鸞の言葉を元にして,異端を歎いた『歎異鈔』第 13条に出てくる語。 弥陀の本願に不思議な力が備わっているからといって,悪を恐れずに振る舞うこと。 『歎異鈔』の作者は,この本願誇りでは浄土に往生できないというのは,弥陀の本願を疑うものであると批判している。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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「威張る」のは、正に「本願誇り」の最たるものであり、権威主義は、今日、流行りの言葉で言えば、孔孟の教え、弥陀の本願の「真逆(まぎゃく)=正反対」をやっている。 そもそも、権威主義そのものが、「謙譲の精神」を真逆に受け取ったものである。

儒教社会には、「権威主義」ではなくて、「謙譲の心」が埋め込まれている筈である。 近代文明の発達(?)したアジアの国々(韓国?日本?北朝鮮?)ほど、権威主義が蔓延っているようだ。 だが、文明と文化は違う。

翻って、オリンピックでは、世界の人々をアジアの文化で迎えたい。 謙譲の文化で迎えたい。 権威主義よ、サヨウナラ!