鞍馬天狗

夢寐のたわごと

目明き千人盲千人

宇治拾遺物語「うじしゅういものがたり」というタイトルの本がある。 私は、無知なことに、90歳近くなる今日まで、このタイトルが「宇治じゅうい物語」と読むのだと思っていた。 そのように発音して、人(他人)前で言っていたとも思う。 言訳になるようだが、私は視覚型で、目で見て覚える性(たち)なのである。

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目明き千人盲千人
世の中には道理のわかる者もいるが、わからない者もいるということ。盲千人目明き千人。
出典:デジタル大辞泉小学館
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いままで、それを咎めたり、直してくれる人は、誰も居なかった。 それなのに「未曾有」を国会の演説中に(みぞゆう)と読んだXX現職大臣(今日現在もひっこく在職!!!)をマスコミ、そして、おそらく、それに吊られて世間も、この大臣を嘲笑った。

私は、この大臣の支持者ではない。 むしろ、この偉ぶった大臣が嫌いだと言えるだろう。 さらに、おそらく、この大臣は、目の前に聞いている側には見えない透明のプロンプター上の文字を「読んで」居たのだろう。 此奴も視覚型のオタンコナスなのである。

私が言いたいことは、この文章で述べていることは、この諺の本来の意味からは少しずれているが、それでも、少しは当たっている筈だということである。 プロンプターを読んでいるこの大臣も馬鹿なら、世間も、もちろん、マスコミも(言うまでもなく、私も)、馬鹿者揃いで、この国は成り立っていると言える。

物事をこなすには、まず自分の「性(たち)」を心得ておく必要がある。 さもないと、知らず知らずに、とんだ落とし穴に落ちてしまう。 「脚下照覧」とは、この事を言うのであろう。 なお、「因果応報」という諺があることも忘れるな。