鞍馬天狗

夢寐のたわごと

差別と言葉・意識の改革 (女子差別)

我々は、考えたり、考えをまとめたりするためには言葉を使う。 言葉なくしては、観念、ひいては意識を操作することはできない。 話されたり、文章化された言葉は、外面化された意識そのものであるとさえ言える。 このことを更に敷衍して言えば、言葉と文化は、同じものだとさえ考えられる。

女性を男性に比べて一段下と見る数百年に渡る文化的伝統は、言い換えると、日本人の心には、つまり日本語(日本の言葉)の中に染み付いている。 女性を差別することなしには、一言も話せないぐらいだと思う。 言葉が、従って文化や意識が、女子を差別せずには、表現出来ないようになっている。

女性を差別しないためには、その意味で、特段の「意識的努力」が、言葉を使う男側にも、女側にも必要なのである。 自然な用語が、日本語では、差別的に成り立っているから、女子差別を消滅させる(意識改革の)ためには、言葉の改革が必要ではないか、と思う。

言文一致運動が、明治時代に起っている。 今一度、言語の改革が必要である。 
東京医科大学で起ったような意識的に「差別しよう」とする姿勢(意識的努力)は、もちろん排撃されねばならないが、このようなマイナス方向へ向いた意識を矯めし、改めさせるだけでは不十分なのである。 言葉そのものを、積極的にプラス方向へ向けて改革する必要があるのではないか、と思う。 この役目は、言語学者、小説作家、文部科学省、各家庭、街角、井戸端、諸会社内、でコミュニケートし合う全国民を挙げての努力に帰させるべきだと思う。