鞍馬天狗

夢寐のたわごと

差別と言葉・意識の改革(続) (女子差別)

まず、隗より始めよう(この言葉・表現自体に、差別の疑いがあるが)。  日本語には、
特殊なケースを覗いて、男専用(男瀕用)、女専用(女頻用)、少なくとも、男らしい、女らしい、と形容される言葉・表現がある。

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隗より始めよ
「戦国策燕策」にある郭隗(かくかい)の故事。 隗が燕の昭王に,賢臣を求めるならまず自分のような詰まらない者を登用せよ,さすれば賢臣が次々に集まって来ると言ったことから。
1.遠大な事をするには,手近なことから始めよ。
2.転じて,事を始めるには,まず自分自身が着手せよ。
三省堂 大辞林』より
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私は、外国語のことは、あまり知らないが、日本語、特に自分が生まれてた地方の方言、のことは、少しは知っている。 言葉や表現法の歴史は古い。 文字通り、開闢(かいびゃく)以来の伝統を持っている。  いや、それよりも古い。 「開闢」が何を意味するかは、良くは知らないが、とにかく古い。

何よりも、皆さんが良く知っているであろう言葉、表現から始めよう。 「俺」、少し古くは「我輩」、もっと古くなれば「拙者」、私の故郷では(?)、「うち(女用?)」、「あんたはん」、など。 「お前さん」。 「てめえ」、「おめえ」など、限りなく日本文化の中に染み付いた「差別・区別」を前提とした言葉・表現がある。

これらの言葉・表現を日本語から無くすよう努力しなければ、日本人の心の根底にある差別・区別の意識は無くならない。 ?➡拙者➡我輩➡俺の流れを、止めて、変えることが、東京医科大学問題を云々することもさることながら、目下の急務はではないだろうか?

言文一致運動が、明治時代に起っている。 今一度、日本の言語の改革が必要なのである。 東京医科大学で起った意識的に「差別しよう」する姿勢(意識的努力)は、もちろん排撃されねばならない。 このようなマイナス方向へ向った意識を矯めし、改めさせるだけでは不十分である。 言葉自体を、積極的にプラス方向へ向けて改革する必要がある。 この役目は、言語学者、小説・随筆作家、文部科学省、各家庭、街角、井戸端、諸会社内、でコミュニケートし合う全国民を挙げての運動に帰させるべきである。

最後に、諄い(くどい)ようだが、この文章で使ってきた「~である」口調もまた、男専用の気配を漂わせている。 では、どのように書けばよいのか、そうしたことを言語学者諸賢、文部科学省に教えて貰いたいし、彼等が公示する公文書の中で、「率先垂範」して貰いたい。