鞍馬天狗

夢寐のたわごと

屈折した気持ち(心)

「ハラスメント(Harasement=英語)という言葉が、社会のいろいろな面で使われ、問題になっています。 

テレビ放送によく現れる俳優(?)で、街角を散歩して歩く番組に登場する男ですが、訪れる街々の駅や道路で出会う知人、未知の人に関係なく、人々に馴れ馴れしく声をかける男が、好んで使うらしい言葉に「小洒落た(こじゃれた)」があります。 これは、筆者の想像ですが、この言葉を使うことに依って、この男は、「自分は世間に少しは知られた有名人だぞ」という自分の優位(?)な立場を誇示しているのだと思います。 この男の仕草、態度にも、自分の優位感が溢れているように見えます。 しかし、このように話掛けられる人の中には、ハラースされれている(迷惑に感じている)人もいると思います。


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嫌がらせ (ハラスメント )
嫌がらせ(いやがらせ)とは、特定、不特定多数の相手に対し、意図的に、ないし無意識に、不快感を与えること
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia
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ハラースされているか否かの感じ方は、主観的なものです。 人によっては、嫌がらせどころか、これを「自分は認められている、認知されている」ことの証だと受け取って、喜ぶ人もいるかも知れません。 私は90歳近い老人ホームに生活する恥も外聞も無くなった老人ですが、それでも「迷惑だ、煩わしい」と感じることだろうと思います。 
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 接頭辞の「小」について考えます。  「高い」と「小高い」とを比べると、当然「高い」ほうが「高い」(程度が著しい)でしょう。 ところが、 「汚い」と「小汚い」とを比べると、「小汚い」のほうが、より「汚い」ニュアンスがあります。  「否定的ニュアンスの言葉に付くと〈小〉は強調になる」気がします。  

・・・・・・・(ウイキペデイア)
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先に紹介したテレビに現れるこの男(自称70歳ぐらい)に、街角で馴れ馴れしく話しかけられたら、私は「何を! この小童(こわっぱ)」と、煩わしく感じるでしょう。 年の功で、20歳ばかり年長の私の方が優位にあるのだぞ、と感じているのです。

繰り返します。 ハラース(メント)されたかどうかは、主観的な受け取り方の問題なのです。 心の曲がった(?)女性なら、セクハラされないと、自分は無視されている、と情けなく思うかも知れません。 

この場合、基本的な問題は、男女の区別の意識を持つことです。 同じように、身分や財力の違い(分際)を意識し過ぎた、「パワ」ハラも、パワハラ「する側の優越感」と「される側の劣等感」」に原因があるのかも知れません。

主観の問題は、意識の問題です。 男女差別問題にしてもそうですが、女側が、そして、男側が、どのように相手側を意識しているのかがハラスメント発生の根本です。 「相手が好きなら、アバタもエクボ」なのです。

ところが、今朝、テレビ報道を見ていて、例外的(?)に、もしくは、病的に(?)極端なパワーハラがあることにを発見し(気付い)た。 自分の立場をおそらく意識して、習慣的に自分より弱い人達を恫喝・恐喝する人たちがいる。

この種のハラスメントは、主観的なものには違いないが、恫喝・恐喝される側の主観も、固定化(定着化=習慣化)されている。 「恐ろしいものだ」という観念が「こびりついて」いるのである。 もちろん、恫喝・恐喝する側も相手は「怖がる」ものだと、(間違ってはいても)主観的に心得ているのである。

こうした社会的なレベルで固定化された観念は、昔からあった。 この世界では、言葉使いはもちろん、仕草、例えば、粋な帽子、派手な衣服、肩を聳やかす歩き方、頭髪の異様、ないし清潔な刈り方・結い方、などで、外観で意図、威風を示し、内面的な、おそらく怯え、を隠す態度、姿勢である。 詰まり、虚勢を示したのであった。

なるほど、「アバタもエクボ」かも知れないが、虚勢も、やけくその暴力を伴うとなると、虚勢が虚勢ではなくなる。 実力(?)を伴うから、受ける側でも実害を受けることになる。 もはや、単なる「受け止め方」としてノホホンとはしていられない。  こちらからも、警察(力)を持って戦わざるを得ない。