鞍馬天狗

夢寐のたわごと

天は人の上に人を作らず (学問のすすめ:福沢諭吉)

日本文化(日本語)は、今日に至るも、「人の上に人を置く」ことを美風としています。 日本では「謙譲の美」を奥ゆかしいものとしています。 謙譲とは、自らを相手に対して、進んで貶める気持ちです。

自らを高く持するは、世俗的には「厚かましい」とします。 傲岸であることは、世の人の侮り、貶めるところです。 世間では、これは自らを知らざる、不遜の行為と考えます。

高位(優位)な立場の者が、その地位を「おごらない」のは、確かに美風と受け取れますが、「これに驕り(おごり)」、つまり世俗で云う「悪乗り」する輩は、軽蔑、唾棄すべき輩と言えましょうが、逆に「謙る(へりくだる)」ことこそ、日本伝来の美風であったのです。

福沢諭吉が唱えた人間の「対等」のあり方は、日本の伝統の中では、言葉の使い方、受け取り方に、大きく影響されます。 差別は意識の問題です。 身分差別意識は、日本の伝統と言葉の中にしぶとく息づいています。 「美しい」日本の言葉を悪用するか、善用するかは、使う人々の意識に根底を置きます。

優位の者が「へりくだり」、一般の者が互いに「おもいやる」のが、日本的だった筈ですが、今日では、そのような気配が薄くなりっつあります。

意識改革が、差別意識撤去の前提だと思います。 明治時代以来の言文一致運動で、身分差別異意識改革も一段落付いたと思いますが、更に、この運動を進めねばなりません。 言葉は、文化を反映します。 逆もまた「真」です。 

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明治時代には、文学者の中から改革運動(言文一致運動)が起こった。言文一致小説の嚆矢は、坪内逍遥に刺激を受けた二葉亭四迷の『浮雲』などである。二葉亭が『浮雲』(1887年)を書く際には、初代円朝師匠の落語を速記法により筆記した、落語家の初代三遊亭圓朝の落語口演筆記を参考にしたという。

・・・・・・・・・・・・・・(ウイキペデイア)
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言葉の専門家と言えば、国文学者はもちろんですが、世俗的には、小説・随筆家たちが実践の先鋒にあると思います。 他に文部科学省、マスコミ、なども新しい文体、口語体の日本語創造の先鋒を務めるべきだ、と思いますが、身分差別、男女差別、その他、セクハラ、パワハラ、etc.の改革と改善に片棒、いや棒の両端を担ぎ、これらの活動に参加することが、不可欠だと考えます。

繰り返します。 差別問題は、身分間であろうと、男女間であろうと、言葉の改革、そして意識の改革から、手を付けるべきでしょう。 さもないと、日本文化に染み付ている差別への敏感性(敏感さ)は、消せません。 さもないと、パワハラも、セクハラも、意識から抜き切れないと思います。