鞍馬天狗

夢寐のたわごと

差別

「一視同仁」という言葉があります。 下記の説明にあるように、誰彼の区別無く遇することは「良いこと」です。 他方、「個性の尊重」が叫ばれています。 「個性」とは、「他とは違う個々の性質」のことです。
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すべてを平等に慈しみ差別しないこと。 えこひいきがなく、だれかれの区別なく同じように人を遇すること。 また、身分・出身・敵味方などにかかわらず、どんな人でも平等に慈しみ、禽獣きんじゅうにも区別なく接すること。 ▽「一視」は同じように見ること。「仁」は思いやり・愛情の意。「同仁一視どうじんいっし」ともいう。
出典:新明解四字熟語辞典(三省堂
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個性の主張は、西欧から始まりました。 西欧のものが全て良いという訳ではありませんが、特異な主張や発言・行動で、世界中を混乱させ、困惑させているある大国の大統領が居ます。 彼の国は、「個性尊重」を尊ぶ国です。

矛盾という言葉もあります。 下記の引用の様に、「一視同仁」と「個性尊重」
は矛盾しているように思えます。 私が住む老人ホームには、90人近い居住者がいますが、ボケ老人、認知症患者、自立した健常老人等が、混住しています。
この施設で働く職員たちは、この矛盾状態を扱うのに日々困惑している筈です。
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韓非子』の一篇「難」に基づく故事成語。「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた楚の男が、客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われ、返答できなかったという話から。 もし矛が盾を突き通すならば、「どんな矛も防ぐ盾」は誤り。もし突き通せなければ「どんな盾も突き通す矛」は誤り。 従って、どちらを肯定しても男の説明は辻妻が合わない。

・・・・・・・・・・・・・・(ウイキペデイア)
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有名な日本の故事に、平重盛の話があります。 「忠ならんとすれば、孝ならず、孝ならんとすれば、忠ならず」。 天皇を無視した父親、平清盛の言動を窘め(たしなめ)ようとした孝行息子の平重盛の話です。 

差別の問題も、このような矛盾を孕んで(はらん)います。 上述したように、私が住む老人ホームは、「健・異混住」の矛盾を孕んだ状態にあります。 例えば、「ビユティ・サロン」という恒例の美容・理容の日には、混住の入居者が、一堂に会して、美容なり、理容なりのサービスを受けるのですが、健常人居住者は、「私は、健常だ」と構える矜持を持っています。 「味噌も、糞も一緒くた」にされるのでは、自分の矜持が許さない、と構えてしまいます。

こうした心理的差別感(?)は、私が住む老人ホームは言うに及ばず、混住する生活のあらゆる点で感じられます。 「一視同仁」する心のゆとりは、そうやすやすとは湧いてこないものです。 差別は、根の深い問題です。 「差別廃止」を叫ぶのは容易ですが、自らの心の底を探って見てはどうでしょう? 
差別廃止は、そう簡単には、「叫べる」問題ではない、と愚考します。