鞍馬天狗

夢寐のたわごと

女性差別の残り滓

私は、女性差別は、日本文化の根底にまで染み込んでいる、と主張してきた。
その若干の証拠を挙げると、言葉の語尾に付ける「わ」、「のよ」、「かしら」、「わね」など、およびその言葉に伴う仕草の女性側の使用と男性側の是認である。 こうした言葉、並びにそれに伴う仕草が、女性差別を助長し、温存している。

一方で、女らしさ、男らしさを求め、他方で、男女平等(対等)を叫ぶのは、
正に、「矛盾」を絵に書いたようである。 この矛盾に気付かない限り、男女の平等は、夢のまた夢。 

このことはマスコミや文部科学省中央政府全体)にも責任のある動向である。 テレビ・ドラマ等を通じて、女性がこうした言葉を使うことを普及せしめている。 男性視聴者も、それを黙認、かつ歓迎している。 明治の「言文一致運動」は、「言文」の改革にとどまったが、現代に必要なのは、「言動一致」である。 さもないと、「天はいつまでも、女の上に男を作る」愚行を続けることになる。

日常の男女両側の言葉、および仕草、そして意識の改革がなければ、男女差別はなくならない。 男性側からの女性描写専用の言葉、例えば、「おきゃん」、「はすっぱ」、「なよなよ」、「麗しげ」、etc.の改革、並びに、「男性らしさ(女性らしさ))を表す言動の改革は、到底、「天」の責任の及ばないところである。 「民心」を新たにしない限り、「男女平等」はありえない。

「男女対等」は、日本文化の根底を揺るがす巨大な「意識改革」に繋がるものである。 そうした巨大な歴史的運動に向かって全国民(日本民族)が腹を括らない限り、容易になし得ざる意識改革である。 おそらく膨大なエネルギーと相当の年月を要する動きであろうが、現代はそのような歴史的な運動の先頭に立つことを要請しているのかも知れない。