鞍馬天狗

夢寐のたわごと

老人の自然の衰弱

私は、この系統の老人ホームへ心神耗弱の状態で入居してから、20年近くなる。 この系統の老人ホームは、割に手広く事業を進めていて、私は同系統の何箇所かの老人ホームに渡り住んだが、気付いたことが、幾つかある。 入居させられている老人がいずれも、年月を経る内に、精神的にも「老化」していくことである。 「老化」は、自然が齎すところと心得て、入居している老人達が衰弱してゆくのを、周囲の人達、家族も、何の疑問を抱くこともなく、諦め顔で見守っている。

 

老化に依る衰弱は、体力については著しく誰の目にも明らかであるが(例外はある)、精神的衰弱(老耄、ボケ、認知症進行)は、外見上直ぐには見えないので、見逃される事が多い。 しかし、老人ホームに入居したての頃と、現状祖比べてみる事によって、精神的衰弱も明からかになりやすい。 ところが、老人ホームは、「有料介護付き」であることが普通なので、施設管理側では金銭を貰っている手前(?)「強制!」介護を行い易い。 

 

過剰介護は、当人の「生きる力」を損ない易い。 「ボケさせ易い」のである。

老人達を、ホーム(?)へ囲い込むのは、落語の「手遅れ医者」に似ている。

患者が来たら、開口一番「手遅れです」というのである。 それで病気が治れば、天下の名医、治らなくとも、「そう言ったでしょう」ですましておられる。

老人ホームでは、最初の「手遅れです」で不要な口上である。 老人が衰弱するのは、お医者様で認めているのである。

 

過剰介護、保護が、身体障害者の生きる力を削ぐ様に、老人の生きる力、それも、楽しく生きる力を奪うものである。 老人が、「生きよう」と発起する元気付けをする老人ホームが望まれる。