鞍馬天狗

夢寐のたわごと

老化を嘆かない

私は、この系統の老人ホームへ心神耗弱の状態で入居してから、20年近くなる。 この系統の老人ホームは、手広く事業を進めていて、私は同系統の何箇所かの老人ホームに渡り住んだが、気付いたことがある。 それは入居させられている老人がいずれも、年月を経る内に、精神的にも「老化」していくことである。 

私は、自分自身の経験から、老化は必ずしも精神活動の衰えを意味するものではないと思っている。 前述のように、私は一時、精神耗弱の状態にあった。
そして、この老人ホームに入れられる事になった。 その時点では、自分自身はもとより、自分の所在の認識も、自意識も失なっていたので、とある病院の精神科へ入院させられていた。 その後、心療内科膠原病科、と転々としたが、現在は年齢の故も有って、心臓血管外科、代謝内分泌内科、整形外科、皮膚科と通常の健常(?)老人の通う「科」に限られている。 精神耗弱の状態から回復するには、長い年月と人々(家族・友人・知人)辛抱強い協力と助力、チャンス(機会)が必要であった。 子供たちは、私に、パソコンを入手し、施設から単独で自由に外出出来るように手配してくれた。 思い起こすと、この回複の経過には20年近くの年月が掛っている。 しかし、回復している。

この精神耗弱状態からの回復には、多くの人、なかんずく家族(子供)の協力、助力、そして寿命と器具を必要とした。 現在は、自分なりに完全に回復していると思うが、鉄道大臣、鞍馬天狗のニックネームで、ここ一年の間に、500個(文)以上の長短のブログを寄稿出来るようになっている。 この回復の経過を通じて、格段に役立ったと思うことは、自分が好む趣味(作文、読書、など)を発見したこと、そしてそのための器具、パソコンを得たことであった。

老化、特に知的老化は、防ぐことが出来る。 いや、知力は防げるどころか、機会と家族、周囲の人達の助力、協力があれば、伸ばすことすら可能である。 年の功、「老いて益々盛ん」、「シワの一つ一つが、優しさを示す」など、年功を喜ぶ表現も多々あるが、知的老化は克服も出来るし、老後の知恵でも、高めることが出来る。 と言って、若者の活動を妨げる事を認めるものではないが、老人ではあっても、自立した一個の人間としての存在を主張すべきだし、させるべきだと思う。 個性の維持、それが人間らしさを保つのである。