鞍馬天狗

夢寐のたわごと

機会と自由

障害者のための車椅子は、障害者から機会を奪っている。 車椅子牢獄であり、障害者を幽閉するものである。 車椅子の人を保護する人は、車椅子利用者から外出の機会を奪っている。 この点に関する限り、体力の衰えた高齢者を過剰に労るのも、高齢者に車椅子を与えるのと変わらない。 体のいい幽閉だ。 拘束だ。 自由を奪っている。 人間は、自由を望む。 望むものを奪われる事は、殺されるに等しい。 

こうした拘束から障害者や高齢者を解き放つ為には、外面からの働きかけと内面の立ち上がりを促すことが考えられる。 外面からの働きかけとは、「機会を与えること」に尽きる。 内面の立ち上がりとは「自立(自律)する心を植え付けること」に他ならない。 居住空間のバリアーフリー化は、機会を拡げる。 当人が好む事柄(趣味、娯楽)に励ませることは、自立(自律)を促す。 

保護(介護)、幽閉は、拘束に等しい。 拘束された者は、自分の力では生きていない。 他人の力を借りて生きている。 自分の力で生きない人は、生きる力を失った人だ。 他人の力を借りて生きる人は、死人に等しい。 

障害者、高齢者を生きさせよう。 彼らに、自らの力で生きる機会と心を与えよう。 幽閉を解こう。 過剰介護を止めるのだ。 障害者や高齢者(老人)は、病人とは限らない。 健常な障害者や高齢者の介護は、良いことだ。 だが、障害者、高齢者介護とは、障害者、高齢者に活動の機会と活力を与えることだ。 バリアーが軽減された環境、そして彼らが自由に気力を持って、活動できる「楽しみ」の機会を増すこと、それが障害者に活力を、そして高齢者を無気力や「老耄(ろうもう=ボケ)」から回復させることに繋がる。 

外面から障害者、高齢者を援護するか、内面から彼らを援護するか、 もちろん、両面から援護するのが望ましい。 では、どちらからの援護が優先するか、私は、優先順序は、内面が第一、外面がその次だと思う。