鞍馬天狗

夢寐のたわごと

さんまの塩焼き

今年は、サンマが大漁らしい。 裏町の通りを歩いているとプーンとサンマを焼く匂い。 堪らんなぁ。 Good news! と思いきや、サンマ大漁、サンマの値段が下がる、と新聞、テレビで騒ぎ、煽りたテレ立てるほど、このnewsがgoodじゃなくて、と言ってもbad じゃないにしても、悲しいnews に聞こえる処がある。

終の住処(老人ホーム)に住む車椅子や何かの理由で、拘束されている老人たちの耳には、「サンマの塩焼き」は、安値(高嶺)の鼻。 如何に老耄しようとも、嗅覚は案外しぶとい。 いや、実際に嗅がなくとも、「サンマの塩焼き」と聞くだけで、在りし日の「かぐわしい匂い」が、夢幻(ゆめまぼろし)のごとく漂ってくる。

車椅子に乗せられたり、兎にも角にも、老人ホームの玄関に鍵を掛けられ、許可なしには外出出来ない老人には、「聞くだけ損で悲しい」ニュースが、サンマの値段が安くなったことである。 老人ホームの厨房には、「魚焼き」の設備を備えていないところが多い。 施設の居住者用に向けて発表されるメニューに麗々しく「~焼き」と書いてあるにしても、「魚焼き」の設備がないのだから、魚が「焼ける」筈がない。 

そうしたメニュー内容と実際との違いを詰る(なじる)と、施設の職員たちが返してくる「焼かないこと」の定番回答は、老人には魚の骨が危険であるという愚にもつかない說明である。 骨と「焼く」こととの間には、直接的関係は無い。 でも、骨を抜いた魚を「蒸して提供する」というのである。 「骨を抜いた蒸しサンマ」がサンマの塩焼きの代わりになる筈がない。

これが安いサンマの悲しい所以である。 「焼くことが出来ない」理由は定かではないが、貰える說明がいつも曖昧であるから、「定かでない」と言わざるを得ない。 そんな定かでない理由にもかかわらず、サンマの塩焼きが食べたい。
少なくとも、死ぬまでに一回は、食べさせてもらいたい。 
このメニュー上「焼き~」と表示して、骨抜き蒸し魚を提供する老人ホームに住むある車椅子に乗った老人などは、この老人ホームの食事がまずいという理由で毎食、店屋物を取り寄せている! また別の要支援老人は、全食を自炊している。 事実、彼らは「焼き魚」が食べたいのである。

老人向け食事というものがあるようだが、それは「病人向け食事」に他ならない。 何よりも、老人が病人であると考える固定観念が、そのものが誤りなのである。 老人が病気に罹り易いのは、統計的に正しいかも知れないが、個別的には、そうであるとは限らない。 サンマの塩焼きが高齢者に向かないと決めつける理由はない。 おそらく、統計的にも、サンマの塩焼きを好む老人が多いと思う。 老人ホームで老人にサンマの塩焼きを注意して食べさせる手間を惜しんではならない。 そうした手間を惜しむことは、極論すれば。老人虐待である。 

翻って、「老人」とはなんだろう。 大抵の現代の成人の頭にある老人とは、おそらく背を曲げ、杖をついて、トボトボと歩く60歳を超えた人だろう。 しかし、誰もが「知識として知っている」老人は、平均寿命が100歳だと言われる今日、70~80歳の老衰した老人に違いない。 しかし、もう10年も経てば、老人の姿は、90~100歳の背筋を真っ直ぐに伸ばした高齢者になるに違いない。 

言葉や観念は静止している。だが、実態は日々変わってゆく。 我々の観念と実態の動きは違うのである。 そこにズレがある。 サンマの塩焼きに舌なめ摺りする老人が、現代には居るのである。 そう言えば、今日私はサンマの塩焼きを食べた。 でも、憧れているほど、旨くはなかった。