鞍馬天狗

夢寐のたわごと

老人を伸ばす

いささか突飛、先走り、奇妙の感があるかも知れないが、人間の想定平均寿命が100歳にまで伸び、年金支給年齢が引き上げられ、85歳まで生命保険が加入できますと謳われる今日、現存老人の学習能力の引き上げ、老耄化年齢の引き下げを考えるのも、無駄ではあるまい。 無駄どころか、世のため、国のため、息子や娘、孫のためと言えよう。

人を殺すは、戦争ばかりじゃない、下手な悪徳医者、頑迷固陋、無知もまた、人を殺す。 老人の心身共の可能性を伸ばすのも、今日に生きる現代人の使命であると思う。 できることなら、老人、高齢者という鬱陶しい世代を消したいものである。 心身ともに健やかな先駆者を、この世に生み出したい。

私は、今年の始め1月2日に当然のことながら、昔から言う「米寿」の年齢を記録した。 昨年は、パソコン教室なるものに参加した。 同級生は4~5人いたが、そのうち4人は世間が「嘲笑う(?)ロートル」であった。 やりおるなぁ、そのまま突っ走れ。 これが私の感想だった。 

いわゆる老人(高齢者)が老耄化(ろうもう)するのは、老人自ら「年寄りだ」と自認し、世間もそれを寿ぐ(ことほぐ)からだ。 老若の差別は、滑稽だ。 つい先頃105歳まで現役を務めて、亡くなった先輩も居る。 老人が老耄化するのは、当人と周りの故である。 「孟母三遷」の故事もある。 状況が人を育てると共に、人を活かす。 いわゆる老人に「自由と機会」を与えよ。 さらば、老人も老人ではなくなる。 

事が大げさになった。 事を目前に、引き据えよう。 パソコン教室、良いではないか、麻雀教室、これも良い。 ダンス、碁、三味線、謡、生花、御めかし、なんでも良い。 当人が望むなら、それが良い。 当人の興味、趣味、そして望むらくは元気、それが寿命を伸ばし、意気を高める。 

「菊は栄える、葵は枯れる」。 趣味は栄える、無気力は枯れる。 100歳だ! 世の移り変わりを、見据えよう。