鞍馬天狗

夢寐のたわごと

近づく敬老の日

老人ホームは、如何に「拘束の無い」を謳おうとも、その性質上、自立者にとっては、拘束条件に満ちている。 従って、「自立した老人」、「軽度要支援老人」を受け入れる老人ホームは、彼らにとっては「自由で気楽な生活の場」とはならない。

老人ホームは、必然的に集団生活を強いる。 集団生活では、集団の決まりができる。 例えば、食事、入浴、室内清掃、消灯、etc. は、集団で行うので、勢い時間的制約が生まれる。 従って、各人が、悠々「自」適の生活を営む訳にはいかない。 

具体的には、夜や早朝の外出・散歩、気ままな娯楽、居酒屋探訪、特定時間に囚われない食事、ペット動物の飼育、などは、多くの場合、物理的にも、心理的にも、制約される。 経営管理者の側の都合、他の入居者に対する気兼ね、他の入居者からの非難・指弾、etc. が制約を生む。

自由な生活を求める身体的にも、精神的にも健康な老人には、老人ホームは勧められない。 老人ホームに入居することは、自ら進んで牢獄へ入獄するのと変わらない。 しかも、老人ホームは、昔の「養老院」の名残をとどめていて、身体的、精神的欠陥のある人達が集まりやすい。 精神的に健常な人とそうでない人達の間の「人間関係」は、営み難い。 

大抵の老人ホームは、「有料、介護付き、そして拘束のない」を謳い、行政もそれを認め(?)ているうが、他方で、自立者、要支援、要介護、相談の上認知症患者の入所を促している。 これは、「自己撞着」である。 これらの人達の混住は、元々、不可能なのである。

高齢化する社会では、高齢者の「気楽な老後の生活」を測り、促進すべきである。 さもないと、「敬老」の実がない。 口先ばかりの「敬老」は、「侮老」である。 老人ホームに入居せしめられた老人は、9月17日でも、ぬくぬくと夕涼み、日向ぼっこ、もできないではないか!