鞍馬天狗

夢寐のたわごと

あの味噌汁は、旨かった!

昨晩、娘にあるファミリー・レストランへ夕食のために連れて行って貰った。 その店で出された味噌汁が旨かった。 日頃、住んでいる「ホーム」の味噌汁しか食べていなかったから、「旨い」味噌汁の味を忘れていた。 施設の食事は、病院のそれと同じように、「栄養管理士」とかという偉振ったタイトルの職員が「管理」しているそうだが、「管理された味噌汁」ほど不味いものはない。

私は、この系列の老人ホームの施設を数箇所転々と、20年近くも暮らしているが、旨い食事にありついたことがない。 それにしても、あの味噌汁は塩味がよく効いていて旨かった。 娘は、「塩分は控え目にすべきだから、味噌汁は残せ」と言ってくれたが、久しぶりの「旨いもの」を途中で、取り上げようというのは「親不孝」である。 私は、その味噌汁を「コッキリ(私の故郷の方言?=徹底的に、全部)」頂いた。 残り少ない人生(私は、実はあの有名な105歳で亡くなった「生活習慣病」の名付けの親の大先生よりも、長く生きるつもりであるが)旨い物なしでは、生きる気もしない。 それこそ、文字通り「味気ない」。

私の住む施設では、「食の幸福」を第一の理念として唱えている。 私の意見では「嘘を言うな」である。 十数年、騙され続けてきた。 もう騙されんぞ。
健康に一番良い幸福を感じる食事とは、「旨い」と思って食べる食事だと思う。 「薬有るとて、毒好む」と言うが、「酒だって、酒好きの人間には、そうだろう」、「旨けれや、死んでもいいのだから」、毒でも、程々なら許されよう。 旨い物を取り上げるのは、「酷」と言うものだ。 せめて、味噌汁ぐらいは、「塩分」有るとて、取り上げるな!

最近、ある看護師から「血糖値の見方が変わったようですよ。 従来、適正と考えていた血糖値よりも、少し高目でも良いようです」と言っているのを聞いた。 ええい、糞。 それじゃ、俺も心を入れ代えよう。 ここ数年、血糖値を自己測定し続けてきたが、毎日、幻影に悩まされ続けてきたわけだ。 私の人生の相当部分が、医者たちが設定した「誤れる基準」で、不幸だった訳だ。

旨い食事で死んでゆこう。 「旨さなくして、なんでこの世かな!」 この施設も「良い嘘」で騙すじゃないか、本施設が掲げる第一の理念は「食の幸福!」