鞍馬天狗

夢寐のたわごと

算盤勘定 (イジケル老人の負け惜しみ)

上段の枠に珠2つの算盤を使っていた時代の人は、少なくなった。 それどころか、算盤そのものを知らない若者が多くなった。 今は計算機という便利(?)な機械がある。 その計算機も発達して、電子計算機、コンピューターにまで飛躍した。

算盤で、算術(算数ではない)を教えられた老人たちには、コンピューターまで手(頭)が及ばない。 算盤が老人の世界なのである。 にもかかわらず、金遣いの荒そうな若者を狙って、レストランのメニューまで、デジタル化するから、老人は外出しても、心安らかに飯も食えない。 

如何にいじけようとも、老人も損得の勘定はする。 損になるような、取引はしたくない。 その老人を惑わすコンピューターやスマホ、その背景となる一連の思考形態であるデジタル思考は、時代遅れで、ガラケー使いの老人を誤魔化すには、もってこいである。 斯くて、多くの老人が詐欺の犠牲になっている。 いくら算盤勘定に明るくとも、コンピューター勘定には明るくない。

いかに老人とは云え、損得の明らかな、そして飯がチャンと食えそうな取引なら、若者に負けはしないし、誤魔化されやせん。 算盤頭に、コンピューターで立ち向かうのは、刀、槍を持つイジケル相手(老人)に、鉄砲、機関銃で掛かって行くようなものだ。 卑怯でござるよ。 相手が算盤と判って居るのなら、自分も刀、槍で立ち向かえ!

えぇ? 「老人も、コンピューターを学べば良い」 その言い方は、あなた方(若者側)の自己撞着ではござらぬか?  然らば、老人を「頭が固い」と謗ら(そしら)ないで頂きたい。 老人の頭が固いは、頭に昔からの知恵・知識が詰まっているからで、人間としての老人の頭にも、若者の頭に劣らぬ容量がある。 違うのは、詰まっている知恵・知識・技術が算盤勘定の知恵・技術か、コンピューターの知恵・技術かである。 

世の移り変わりは、人世の常。 変わるべくして変わるは、老若共に受け容れるべきだ。