鞍馬天狗

夢寐のたわごと

鬱陶しいのは教える人物

以下は、一般論です。 そう断った上で、自分の意見を申し述べます。 殆どの教える人物は、「報酬」を得ています。 純粋に報酬無しで、教えてくれるのは「母親」だけです。 父親ですら、世間体という報酬を貰います。 学校の先生は、「給与」として、先輩は、自負心、ないし自尊心で、 報酬を受けます。 

報酬目当ての「教育」は、鬱陶しいものです。 あなたには、自分という存在があります。 自分は自分、他人の容喙を受けたくはありません。 教えるとは、体の良い容喙です。 だから、教える人物は、鬱陶しいのです。 

先生と呼ばれる「馬鹿」が居ます。 自分が他人から、鬱陶しがられているのに、気付かない人物です。 おまけに「給料」と報酬を得ていますから、否が応でも教えようとします。 煙たがられる父親も、世間の常識(?)に鑑みて、教えようとします。 

先輩が教えるのは、自己満足のためです。 知ったか振りが、自分の気持ちを良くさせるのです。 他人事に口を挟むことは、自分の問題ではありませんから、気持ちよく、気楽にやれます。 損得勘定(そんなものは、元々ありません)なしで、「公平に(?)」、私見を交えず(?)、客観的判断が下せる(?)と嘯くのは勝手ですが、これは事実誤認も甚だしいことです。 第三者判定? どの第三者も、自分の欲(我欲)の塊です。 一寸した利害で、どちらの方向へも、コロコロと変心も、転進もします。 

他方、可愛いのは教わる人物です。 子供は可愛いものです。 しかし、少し大きくなると、憎たらしくなります。 自分を言い出すからです。 教える人物の「我」、教わる方の「我」、その両者がぶつかると、ややもすると喧嘩になります。 親子喧嘩は、よくあることです。 ハイテーンがグレるのも、親や先生の容喙が元というケースをよく聞きます。  

この世間から、「鬱陶しさ」を無くすためには、「唯我独尊」を貫くことです。 あなた自身も、他の人間も、お互いの容喙のし合いを控えると、鬱陶しい人間関係を「カラッと」させるでしょう。 以上、私見ですが、これも容喙ですか?