鞍馬天狗

夢寐のたわごと

身分差別は、あなたがしている

「自分」といいますね。 この自分の「分」は、領分の分ですね。 そうです。
自分の領分は、「自」が決めているのです。 「身に余る光栄~」などとよくいいますね。 「余っているかどうか」は、自分の領分が判らなからきゃ、分かりようがないじゃありませんか! 他人の領分へ無断で侵入したりしないように「分際(分の境)」も自分なりに、弁えて(わきまえて)いるんですね。

「これは、これは、過分の頂き物。 有り難く頂戴致します」。 変な挨拶ですね。 自分で勝手に、自分の分を超えていると決めて、有難がっているようじゃ、世話ありませんよ。 決めるのは、自分でしょ。 有り難いか、有るに決まっているかどうかも、自分で決めているんですよ。 まるで、独り芝居じゃありませんか!

「無礼ではないか。 己の分際を心得よ」と、国会議員さんが仰言る(おっしゃる)。 そして、こちらは、へへぇ、と謙る(へりくだる)。 馬鹿な話ですね。 これじゃ、国会議員さんが威張り散らすのを煽り(あふり)たてているのですよ。  相手の気持ちを忖度(そんたく)したくもなりますね。 忖度しなけりゃ、また、へりくだらなければなりません。

謙譲は、美徳でも、悪徳でもありません。 単なる日本社会のルールです。 対等な関係の複数の人々が、交流をスムースにするために考え出されたルールです。 いや、日本人が考え出したと言うよりも、古代中国の孔子とか、孟子とかと仰言る(おっしゃる)大先生がいい出した社会を守るルールでしょう。