鞍馬天狗

夢寐のたわごと

発信の民主(民衆)化

従来は、発信はもっぱら専門家(芸能人、政治家、小説家、など)の手に委ねられていた。 人々は、受信の側(観客、聴衆、など)の立場に立たされていた。 しかし、昨今は違う。 パソコン、スマホ、などで庶民も自由、随時に発信出来る。 

受信の側を想定する発信人は、発信の仕方に工夫を重ねた。 表現方法である。
作詞家を例に取ってみよう。 「うまい!」と、叫ばずにはいられない、表現も多々あった。 古今の和歌、街頭(議会)演説、演歌の作詞、かぞえ上げれば切りがない。 こうして受診者たちの心を揺さぶった。

受信側は、発信者の片言隻句を受け取りながら、自分たちの頭の中のイメージを膨らます。 「イメージ!」。 これが曲者である。 イメージは、自由に羽根を伸ばす。 発信側の予想を超えて、イメージは膨らんで行く。 発信側がデジタル(理知)であろうとも、受け取る側はアナログ(情感)で受信する。

情感の拡がりは、漠然としているので、限りがない。 ♪包丁一本、晒に巻いて♪ あぁ、愛しいコイさん(お嬢さん)を後にして、板場の修行に出て行く、この若い男の「決意」。 悲しくも、勇ましいなぁ。 どこへ行くのか? 東京か、京都か。 いずれにしても、暫くは会えない。 受信者の涙が注がれる!

藤島恒夫(ふじしまたけお)が、この歌(月の法善寺横丁)の発信人。 これで巷間の男女の情感を揺さぶった。 当人の才能もさることながら、当人はこれで飯を食っていた。 現今は、筆の遊び(すさび)でブログやツイッターを書き、素人でも、拙い(つたない)歌を発信することができる。 

あぁ、味気ない世になったものだ。 世のデジタル化を恨むよ。