鞍馬天狗

夢寐のたわごと

縦割りの社会

近世冒頭、西欧諸国では「啓蒙思想」という運動が起こりました。  人間が理性に目覚めた時代です。 魑魅魍魎(ちみもうりょう)を恐れて暮らしていた人間たちが、自らの理性に頼って生きようと心を決めた時代です。 科学が振興され、文明が開花しました。 西洋の人間たちは未知の東方の世界、未開の土地(アメリカ)、暗黒の大陸(アフリカ))、世界一周へと(マルコポーロコロンブスヴァスコ・ダ・ガマたちは、赴き(おもむき)ました。

他方、人々は自ら理性を鍬にしてそれぞれの専門を掘り下げ、探求することで、いろいろと新しい事柄を発見して行きました。 斯くて、専門性が生まれました。 自然、文化、精神、など諸科学の勃興です。 深い掘り下げと探求を通じて、諸科学の専門性はますます強固に確立されて行きました。

しかし、人間の心の中には理性に加えて今一つの流れがありました。 感情(情け)です。 啓蒙思想の旗頭、ジョン・ロックジャン・ジャック・ルソー、シャルル・モンテスキュー、紀元前200年代に生きた古代の科学者アルキメデスや哲学者、孔子孟子、そして、中世の哲学者、デカルト、近代日本の哲学者、西田幾多郎三木清らにも、「悲しみ」や「怒り」の感情はありました。
この感情は、長い人類の歴史を通して変わりません。

感情は、洋の東西、古今を通して変わらない人間の気持ちです。 理性が古今を縦に貫く人間性であるとすれば、東西を横に跨がる(またがる)感情は、人種の別を問わない人間の「性(さが)」です。 アメリカ人も怒れば、日本人も怒ります。 アフリカ人も悲しめば、日本人も悲しみます。 孔子も怒りましたし、私も怒ります。 モンテスキューも悲しめば、あなたも悲しみます。

現代は、社会の縦割り(理性)が、横割り(感情)に優先する時代のようです。
社会の機構の殆ど(ほとんど)が、縦割りで構成されています。 機構構成もそうですが、システムのあり方もそうです。 政府の機構も、病院の構成も初めての利用者、患者にとっては、どの局・課へ、どの診療科へ行けば良いのかが分からない仕様になっています。 縦割りだからです。 局、課の横断的連携が無く、診療科の横の繋がりが出来ていないからです。

理性でスッパリと割り切るのも良いのですが、嫋々と余韻尽きなく漂う情感の気分も捨てたものじゃありません。 人生は、両々相俟って(あいまって)十全となるのです。 現行の縦割り社会は、人生を味気なくします。 折角の人生です。 空気は十分に吸って生きたいものです。

ギリシャ、ローマ、夏、殷、商の古代から、横割りの精神は、人間の心の中に息付いています。 たとえ、デジタルな縦割りが、科学文明を促進するものであるにしても、アナログな横割りの情感に溢れた呼吸を忘れない様にしたいものです。