鞍馬天狗

夢寐のたわごと

「付き」の考察

暇があるので、日本語で言う「付き」という性質について考察して見ることにした。 いわゆる、「徒然なるままに」という、あれである。 この考察の主眼は、人間の性質としての「生まれ付き」や「顔付き」などというあの「付き」に置かれている。 「付き」は、人間の特定の部位の性質を示す際に使う言葉である。 しかし、「鼻付き」、「耳付き」とは言えない。 どちらも、「性質」ではないからである。 従って、「目付き」や「手付き」が悪いとは言える。

併せて、つたない私の英語力を使って、英語ではどのように言うか、も考えてみた。 だが、「付き」に相当する英語表現は、仲々思いつかない。やはり英語力が不足しているのかなと反省しつつ、考えをさらに深めてゆくと(下手かも知れないが)、違った文脈で使うcoming out という表現を思い付いた。ちなみに、「思い付く」の「付く」は動詞であり、私の考察の対象の範疇には入らない。 英語のcoming out で表される性質は「内から表出されてくるもの」で、「内面的な能動的態勢・性質」に力点が置かれている様に思われる。 

私の考察の対象である日本語の「付き」は、基本的には恣意的には変えることの出来ない既存の表出された性質(?)について言うので、後日「意のままの」変更することは出来ない。 翻って、「手付き」や「目付き」を考えてみよう。 

「手付き」には「手付け」と言う音と文字が似た言葉があるが、意味が全く違う。 ご承知のように、手付けは「一部金前払い」を意味するが、人間に備わる性質ではない。 手付きや目付きは、コソ泥に見られる人間行動の性質を表し、これらの性質は、後天的に学ばれたものかも知れないが、「既に(半恒常的に)」備わったもので、「カムアウト」のような一回コッキリのものではない。

日本語で言う「付き」は、既なる(天与の)性質なので、差別の対象にしてはならない。 すなわち、「彼奴は目付きが悪い」、(実際行動に出ない限り、推定に基づいて)「彼奴は手付きが悪い」、「生まれ付きが悪い」、などと差別・軽蔑するのは言語道断である。 というのも「付き」は当人の責任によるものではないからである。 そう言えば、「付き」は「付いている」という表現もあるよ「常備された天与の性質」である。 では、以上の考察から何を主張したいのか?  何もない。 徒然である。