鞍馬天狗

夢寐のたわごと

期待する側と期待される側

今日、面白い事に気づきました。 私が、このことに気付いたのは、この老人ホームでの出来事がきっかけでした。 具体的には、風呂サービスを受ける側と風呂サービスを提供する側、特に上から期待される側の「意識」の違いです。 

風呂は午後1時半から提供するというのが、サービスを提供する側の管理者と受ける側との約束でした。 ところが、サービス受ける当人が、風呂場へ行ってみると湯船に「湯」が入っていないことが、この2ヶ月の間に2回ありました。 

聞いてみると、1時半から「湯」を湯船へ入れ始めるのが、風呂サービスを提供する(期待される)側の担当者の認識でした。 湯に入るのが、1時半からだと期待していたこのサービスを受ける当人の認識でしたから、双方の間に、少々でしたが、イザコザが起こりました。 考えてみると、こうした「イザコザ」似たようなイザコザが、いろいろな場面で起こり得ます。 

例えば、医者は治療という「作業」に関心を持ちがちですが、患者は回復という「結果」に関心を持ちがちです。 同じように、行政サービスを提供する側の役人と行政サービスを受ける市民の意識の間にも、似たような「食い違い」が起こり得ます。

この違いは、「視点」の違い、「立場」の違いから生まれてくるのでしょう。 ここで、「イザコザ」を出来る限り減らす為には、誰もが「相手の」、視点なり、
立場なり、関心なりに心を配ることです。 ここでのキーワードは「相手」です。 

「ミー・ファースト」は、イザコザを起こすのです。 その証拠に、ある大国の大統領が「XXXファースト」を言い始めてから、世界は何かと騒々しいものになり始めたではありませんか!