鞍馬天狗

夢寐のたわごと

言い訳は経過で

得てして、言い手の言い訳は、経過と理由の說明に走る。 ところが、聞き手の関心は結果にある。 経過や理由の說明が長いほど、聞き手は退屈を感じる。

政治家や役人の說明には言い訳か多い。 国民は、結果を求めている。 医者の說明も同じである。 患者は、治るか治らないかに関心がある。 医者は、理由(病因)と経過の処置と說明で金を稼ぐ。 患者は治るから、金を払う。

物事への関心は、自分事か、他人事か、で所在が決まる。 誰でも自分の事については結果を求める。 他人事については、理由、そして経過説明で済ます。 ここにすれ違いが起こる。 

人間関係は、自分と他人の関係である。 道理で、人間関係、引いては、社会は住みにくい。 理由を言い立てれば、ぶつかり易い。 結果で勝負すれば、物事は早く片付く。 経過と結果、自分事と他人事という(屁:くさい)理屈のぶつかり合いを、滑らかにしてくれるのが、情という油である。 

潤滑油は、人間関係を滑らかにしてくれるが、異性が油になることが多い。 男同士では、結果と経過でいがみ合う事が多いが、女が混ざると、ギスギスが、スイスイになる。 だが、女同士でも、空回りになる。 女の空回りに、男が混ざると、ガチッと噛み合うこともある。 

男女の存在は、天の配剤。  自分と他人の存在も、天の配剤。 これの可否を論じても、天で歯が立たない筈である。 受け止めよ。 それがこの世の定めである。