鞍馬天狗

夢寐のたわごと

天動説

 

昔、私達は、地(球)を中心にして、天が動いていると考えていた。 もちろん、この考えが間違いであることは、現代の人なら、誰もが知っている。 しかし、形を変えた天動説が現代も生きている。 

「中央」という観念がある。 多くの人が中央に憧れる。 昔は、その憧れる中央が京都(平安京)であった。 いまは、東京(都)である。 誰もが東京風を見習って、真似ようとする。 

「内地」という観念もある。 逆に「本土」とも云う。 他は、「外地」であり、本土以外である。 日の本という觀念も、昔からあった。 日の下、つまり「本」の国に、私達は生まれ、育った。 「天(日:あま)」が下、我が瑞穂の国、が世界の中心であった。 我らこそ、恵まれた、日の本の民(たみ)であった。

日の本の民以外(他)は「夷(恵比寿:えびす)」である。 平安京から遠く離れた今で言うところの関東地方に盤踞(ばんきょ)する平の将門は、夷であった。 昔からその夷を「征伐」して来た。 中央以外に住む輩(やから)を排外・排除して来たのである。

私達、殆ど、セカンド・ネーチャー(第二の天恵の性質)として、中央に居ることを誇る。 地こそ中央であり、天(外)を動かしている。 今もなお、心の奥底に、中央(日本)であることを誇り、かつ高ぶる気持ちが残っている。

夷敵を排除することこそ、恵まれた日の本の民の使命であり、この純血を守り通さなければならない。 それが、祖先より伝来の、古事記日本書紀、云々を通して託された現代日本人の使命である。 

現代日本人とは、なんぞや?  端的に言えば、因習の固まりである。 なるほど、攻めくる蒙古族ジンギスカン)をこの日の本の国にまします「神」の御力によって撃退した。 未だ、外敵に侵される事のなかったこの日の本の国と言えば、外面(そとずら)は良いが、島国という特異性の故に、偶然「孤立」し、それなりに固着してきた国ではないか。 特段に、「純粋性」を誇る理由はない。 独りぼっちの「孤独性」を嘆き、「安全性」を喜べば良い。