鞍馬天狗

夢寐のたわごと

専門の必要性

専門馬鹿」という言葉がある。 その道に詳しいが、他の道には暗い人物の事である。 しかし、私は「専門」というものが必要であると思う。 私がこの事に気付いたのは、パソコンの活用を通してであった。

パソコンは、恐るべき可能性を秘めている。 パソコン、You tubeを経由して、世界各地からの画像を音響入りで見ることが出来る。 しかし、しょせん「電子計算機」である。 端的に言えば、「計算機」の成れの果てである。 画像や音響に特化した道具ではない。 その道に特化した道具としては、テレビがある。

しかし、パソコンが「中継機」として役立つことを発見した。 テレビ画面にパソコンを経由して、多くの画像を「鮮明に」映し出すことが出来る。 画像の「鮮明さ」という点については、パソコンはテレビには及ばない。

私の発見(気付き、主張)を説明するために、誰でも罹る病気を例にとって話を進めよう。 

病気は、文字通り「万病」である。 どこがどのように、苦しく、痛いかは、患者には分かる。 しかし、医者には分からない。 その結果、総合病院を訪れると(街の開業医でも同じであるが)、大きな病院内を病状に合致する専門「科」を探して、アッチ、コッチと右往左往したことは、誰しも経験することである。 現代の(日本の/大抵の国の)病院制度には、昔の江戸時代の「本道医者(科)」のような万病に対応できる「総合診療科」が無いからである。

しかし、医学は進んでいる。 結核は、治る病気となったし、多くの伝染病も今や、手の届く範囲内に収まってきている。 あの難敵「癌」ですら、予防も治療も、可能になってきた。 その道(科)での医学の進歩のお陰である。
専門馬鹿」も、使いようによっては役立つ。