鞍馬天狗

夢寐のたわごと

選り分ける

「選り分ける(区別)」するめには、基準が必要である。 上下、縦横、美醜、大小、長短、高低、善悪、好悪、美香悪臭、旨い不味い、etc..のどれもが基準になる。 これら諸基準の内、特徴となる点は、それら基準を実際に当てはめるに際して、「自分なりに通用する基準」か、「多くの人と共有する基準か」である。

物事の大小、高低、長短、上下、などは、「当てはめ方」を、大きく他の人と共有するものである(客観的)。 ところが、美香悪臭、旨い不味い、善悪、好悪、は、人それぞれによって(個人的に)異なる(主観的)。

選り分ける(区別に)、自分特有の当てはめ方をすると、客観性が無いために、非難の対象となる事が多い。 世間では、物事の良否を「数」を尺度に定めることが多い。 要するに、多数決である。 区別と差別の違いは、客観性の有無に依るものと思われる。

人は、本能的に区別する。 生存に関わるからだ。 毒物と無害の物との区別が正しくできないと、命にかかわる。 美醜の区別は、子孫の繁栄に関わるかも知れない。 良否・損得の区別は、主として物事の実現へ注ぐ努力の大小に関わると思われる。 美香悪臭や旨い不味いの区別もまた、生存に関わるのであろう。

こうした生理的本能を、社会的適用に及ぼすと、「差別問題」が起こる。 差別は、明らかに社会的問題であり、多数決が及ぶ問題である。  言い換えると、人間の「意識」が関与する問題である。 これを更に言い換えると、「文化」のあり方、有り様、に関係する問題である。

人間に区別し、選り分ける生理的本能が備わっている限り、差別問題の解消には、個々の差別問題に取り組むこともさりながら、この問題の根本的解消には、「意識革命」、「文化革命」が必要だと思う。 「嫌いなものは、嫌い」、「好きなものは好き」の意識を、変革しようとするそれぞれの人(そして、多数)の努力、「意識革命」を根幹とする文化革命が必要だと思う。