鞍馬天狗

夢寐のたわごと

自分の医方

保養の道は、みずから病を慎むのみならず、又、医をよく選ぶべし。 天下にも変えがたき父母の身、わが身を以(もって)、庸医(下手な医者)の手にゆだぬるはあやふし。 ・・・医師にあらざれども、薬をしれば、身を養い、人を救うに益あり。 されども、医療の妙を得ることは、医生にあらざれば、道に専一にしてならずして、成りがたし。 自ら医薬を用いんよりは、良医を選んで、ゆだぬべし。 医生にあらず、術荒くして、みだりに自ら薬を用ゆべからず。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(貝原益軒:養生訓。より)
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緊急なのに、医者やナースが傍に居ないことがよくある。 特に、自分自身は、もとより、身近な者の夜中の突然の発病がそうである。 その様な場合、僅かなりとも、医方を心得ていると役立つ事がある。 と言って、下手に自分で薬や手当を施すことは、危険である。 「応急」の手当のみで良い。

僅かな自分なりの医方の心得は、どのようにして獲得するか? その獲得には、華岡青州(と彼の母および妻)が行ったような「身を挺する方法」が一番である。 おそらく、言うことはできるだろうが、本当に「無病息災」な人など居るはずがない。 誰でも、病気になるだろうし、怪我はする。 自分の病気・怪我こそ、医方見習のまたとない機会である。 

自らの身体に起こる異変、その経過、医者が下す診断、処方、の注意深い観察が、「素人」医方の原点になる。 とい言って、過信は禁物である。 基本的には、病気の治癒は、信頼できる医者に任すべきではあるが、自分の身体に起こる病気の経過と医師の治療のあり方を注意深く観察して、許される範囲内で、自分なりの工夫、治療を試みてみるのが良い。

良医は、概して、応接が静かで、患者への指示が懇切である。 多くを語り、患者への指示が少なくし、自分の判断を確かめる傾向が医師にはある。 必要なのは、医師の判断よりも、患者の病気の治療である。 自分の判断に確信を持たない医師は、患者への指示よりも、自分の判断を確認したがる。 

素人が、医師の診断、処方に横から口出しするのは、医師に「煩がられる」ばかりでなく、医者の診療の妨げになる。 結果的には、自分の「損」になる。 病状の観察とさりげない医師への質問が、主たる自分の医方学習の方法である。