鞍馬天狗

夢寐のたわごと

にらめっこしましょ

昔、この施設に、私にと同じ姓の入居者が3人居た。  「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」
の 類(たぐい)で、私の姓は、佐藤、鈴木、山本、安藤同様、極めて多い姓である。そこで職員達は、私をファーストネームに「さん」を付けてで呼び始めた。  ところが、不幸にして、私以外のお二人が先立たれた。  漸く、晴れて、私も、他の人同様、ラストネームで呼んで貰えるようになる筈であったが、「余韻」というものがあった。 

私は、アメリカ人と一緒に生活したことがあり、アメリカ人の友達が、大変多いので互いにファースト・ネームで、尻上がりの発音で呼び合うのには、ある程度は慣れてはいたが(ちょうど、トランプ大統領が、シンゾーと呼ぶように)、それでも日本の昔気質から言えば、「ラストネーム」で相手に呼びかけるのは、親子兄弟姉妹ならいざしらず、他人同士の間では、馴れ馴れしくて、失礼である。 

施設では入居者を呼ぶのには、「様」付けを奨励しているが、それではなんとなく白々しい。  と言って、「君」付けで呼ぶのは、男女(爺婆)の別がハッキリしないし、「先生」では馬鹿 ばかりに聞こえて気色が悪い。  といって、「チャン」じゃぁ子供ぽいし、「あんた」、「おまえ」じゃあ、夫婦じゃないからそらぞらしい。  「呼び捨て」という手もあるが、此処の爺婆は、それほど仲良くない。  せいぜい、「おい」がだろうが、この呼び方には、大抵の婆は慣らされはていても、爺の場合には、彼らの「矜持、識見」に関わる。  

アレやコレと考えた挙句が「黙んまり」である。 廊下で行き合っても、互いに「にらめっこ」しましょで、澄まして、通り過ぎる。 では、人間関係はどうなる? 人間関係だとのと、大層なことを言っても、認知症患者やボケ爺ばかりの間じゃ、「人間関係」なんて高等なものは、成立し得ない。 とどの詰まりが、「クソくらえ」に終わる。 斯く言う私も、施設の片隅で糞を食らっている。