鞍馬天狗

夢寐のたわごと

老人介護

「敬老」という言葉がありますが、「敬」されるべきは何歳くらいからでしょうか?
そもそも、「老」とは、何を意味しているのでしょうか? 単に、「年長」であるという意味でしょうか? そこまで、「老」の意味を広げると、「敬老」とは、年長者を「敬」することになります。 どうやら、先輩が後輩を、上級生が下級生を、古顔が新米を、甚振る(いたぶる)日本的パワハラの根源がこの辺にありそうです。

話がそれてしまいました。 元へ戻しましょう。 人間の寿命が、100年に伸びたと最近、盛んに言われるようになりましたが、人間の寿命を百年とする思想は、昔からあったのです。  江戸時代の本草学者貝原益軒(1630~1714)は、養生訓の中で、「人の身は、百年を以って(もって)期とす。 上寿は、百歳。 中寿は八十。 下寿は六十なり。 六十以上は、長生きなり」と言っています。

ともあれ、「老」の意味を、益軒の言うように60歳以上とすれば、混み合う電車やバスの中で、席を譲るべき相手は還暦を過ぎた人達ということになります。
だが、近頃は違います。 私自身(現在中寿の年齢)の体験から言うと、中寿以上の人を見かけて席を譲るのは、多くの場合、下寿の人、それも概して、下寿以下(中年)の婦人です。 「人生100年」の思想が、拡がり始めているのでしょう。

ここで一言、下寿より年齢の若い人は、どうかと言えば、問題外です。 余程疲れているのか、大抵の壮年者、若者は、「寝た振り」をしたり、スマホに夢中になったりしています。  度胸があって人前でも、堂々と老人に席を譲るのは、若い、それもうら若い女学生です。 いわゆる、「敬老の精神」に一番欠けるのは若い男性です。 青年には、「格好が悪い」、「恥ずかしい」の気持ちが強いのかも知れません。

最近は、中寿に至っても、元気な老人が多く居ます。 従って、「敬老」を押し売りするつもりはありません。 哀れを乞う気持ちもありません。 よろけてコケた場合は、別ですが、そうでなければ、電車、バスの中でも、立たせておいて下さい。 つり革にぶら下げておいて良いのです。 「天は、自らを助ける者を助けます」。 それでますます老人は元気付きます。 それでも、敢えて老人を助けようとするのなら、有り難くご厚意を拝受します。 やせ我慢はしません、やっぱり、疲れますから。

敬老は、老を敬するものではありません。 敬老は、弱きを助け、強きを挫く(くじく)慷慨(こうがい)の気、義侠の精神の現れです。 老人と言えども、哀れみは受けません。 慷慨の気なら受けましょう。 やたらに老人を保護することは、老人を弱化させます。 彼らに「健康」な長寿を与えるべきです。 そのためには、「過」介護はいけないのです。