鞍馬天狗

夢寐のたわごと

かこち顔

薄れていた記憶が呼び起こされるに連れて、過去のことや昔覚えたこと、言葉などが、が色々・次々と思い出される。 「かこち顔」もそうして思い出した言葉の一つである。 かこち顔とは:

[名・形動]他に事寄せ、そのせいにして恨み嘆く顔つき。また、思いわびているさま。
• 「嘆けとて月やは物を思はする―なるわが涙かな」〈山家集・中〉
⇒参考:かこちは、【託ち】 と書く。        
 
を言うのらしい。 自分の意思では、無かったとは言え、自分(と家内)とで長年かかって孜々営々と作り上げた「自分の家(マイ・ハウス)」ではなくて、かかる施設に籠居せざるを得ない境遇を、かこち顔で、日々を送る情けなさ。 90歳近くなって、漸く、かこち顔の実感を感じている。

老人ホームには、「かこち顔」などと言う言葉を知る人は少ない。 万葉の教養を持ち合わせる人が、まず稀なのである。 しかし、教養の有無とは別に、顔自体は存在する。 かこち顔も存在する。 長年この系列の老人ホームに籠居する私の友人も、かこち顔なる言葉、その意味を知ることも無く、かこち顔で日々を送っている。

かこち顔に相当する現代語を考えてみると、「冴えない顔」や「浮かぬ顔」と言った言葉に思い当たる。 しかし、よく考えてみると、かこち「顔」は、これらの「顔」とは、少し違う顔だ。 これらの顔を示す言葉は、主として、外見に着目しているのに対し「かこち顔」という言葉は、深い内面的な気持ちをも表している。 なるほど、「浮かぬ顔」には、憂鬱という内面の気持ちが含まれているが、「かこち」程ではない。 では、「かこち」とは、何なんだ。


託ち(かこち)⇒他にかこつけて恨み嘆くこと。(Web より)

なるほど、「かこち」には、他(の人や状況)を「恨む気持ち」が潜んでいる。 昔の人は不幸だったんだなぁ、世間にかこつけ「浮かぬ顔」で、世間を恨んでいることが多かったんだ。 今の人は違う、不幸を感じても、「冴えない顔」や「浮かない顔」程度で済ませている。 とても「恨む」ほどではない。

現代人
今の人は、(潔ければ)、何をするにも主体は自分。 自分(の責任)を他人に譲る訳にはいかない。 自分は自分。 他人頼りは、自分を捨てること、だと考える。 マイ・ナンバーに始まり、マイ・ペン、マイ・財布、マイ・スプーン、とマイ、マイ尽くしで騒ぐ今日今日、とても「かこって」なんか居られない、という訳か?

主体性だの、自律心だの、はたまたXX民ファースト、、アメリカ・ファーストと叫ばれる今日(コンニチ)、世間は世間、俺は俺と、「シャアシャア」しておられる今日では、「カコチ顔」なる鬱陶しい顔じゃ、世間に顔向けも出来ない。

もう忘れよう、「かこち顔」

。。。。。。(鉄道大臣)