鞍馬天狗

夢寐のたわごと

かこち顔(続)

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かこち顔:他に事寄せ、そのせいにして恨み嘆く顔つき。また、思い詫て(わびて)いるさま。
• 「嘆けとて月やは物を思はする我が涙かな(山家集)」⇒参考:かこちは、【託ち】 と書く。
(Web より)
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老人ホームに住む人達の間には、「かこち顔」なる万葉・古今の教養を持ち合わせる人は、入居者の間では、まず稀である。 しかし、教養の有無とは別に、「かこち顔」そのものは存在する。 昨年亡くなったこの老人ホームに籠居するある私の友人も、「かこち顔」なる言葉の意味を知ること無く、昔彼女が見た映画「格子無き牢獄」の題名を引き合いに出して、外出出来ない自分の情けなさを託ち(かこち)ながら日々を送っていた。
かこち顔に相当する現代語を考えてみると、「冴えない顔」や「浮かぬ顔」と言った言葉に思い当たる。 しかし、よく考えてみると、顔のあり方とは別に、この施設(牢獄?)に閉じ込められている(?)人は、入居者以外にも多くいる。 ここに働く職員がそうだ。 
ここに働く人達も、休日以外は、四六時中この施設に閉じ込められ、入居者の面倒を見ている。 確かに、毎日外出はするが、その外出時間の大半は、満員電車やギュウギュウに詰められるバスの中、雨の日も、雪の日も、風の日も、遅刻を恐れて急ぎ足で歩く路上で過ごしている。 
強いて、彼らと入居者との違いを探せば、心理的な「自由感」を持つていることだ。 不自由という点については、入居者と変わらない。 それだのに一方が「託ち」、他方が託た「ない」のは、どういう訳か。 託たない訳は、一方が「自由感」を持つていることにある。 
では、自由なら、その自由な時間に何をしている?  此処の職員の場合は、生活、それも、自分のそれだけではなく、家族の生活をも賭けた仕事に励んでいる。 このことは、何事か(例えば、仕事)に励んでいると、たとえ不自由であっても、「苦にならない」と言ってもいいだろう。 

いや、更に、一歩進めて、単に仕事に励むだけじゃなくて、「自分が何らかの意義を感じる行為」に励んでいると、「浮かぬ顔」や「冴えない顔」をすることがない、と言ってもいいだろう。

「託つ(かこつ)」気持ちには、他(の人や状況)を「恨む」気持ちが潜んでいる。 しかし、多くの人の中には、不幸を感じていても、「冴えない顔」や「浮かない顔」程度で済ませる事ができ、家族や不幸な人達の為にボランテイアとして励んでいると、世間や他人を「恨む」どころか、喜びを感じている人も居る。
そう言えば、あるテレビ番組で放送していたのだが、軽度の認知症患者に仲間が食べる食事を作らせ、成功している例があるという。 認知症患者ですらそうなのだから、単に託っている程度の「憂鬱に悩む」老人ホーム居住者なら、例え、為すこともなく、毎日を「託ち}ながら過ごしているにしても、当人が意義を感じる(当人が興味を持てる)作業の機会を与えれば、「託たなく」なると思う。 
―艱難バカをも、賢くするー