鞍馬天狗

夢寐のたわごと

易(便利)に溺れるなかれ

便利なものには、何でも副作用を齎す傾向があるが、便利なものは、特定目的に限って便利なので、副作用があることを忘れてはならない。 車椅子は、基本的に歩けない一日中座乗生活する人には、あっちこっちへ自由に動けるので便利だが、半分(少し)歩ける人には、危険である。 理由は動くからである。 立ち上がり動こうとする度にストッパーを掛けていないと、車椅子は動く。 そしてブレーキを掛け忘れると、易々とずり落ち,思わぬ怪我をする。

パソコンのワード利用もそうである。 手紙など、書いた上で、容易に文字を消したり、書き直したり、後で書き加えたり、かつ、書いたまま先方へ文章を送達出来たりするから極めて便利であるが、反面、利用者の方で、字が下手になり、「遺言」を書いても、遺言にならず、貸し借りの「証文」にもならない。

ボールペンや筆、ペンで書いた手書き文書は、証拠として扱われるそうだが、近頃は、消す事のできるボールペンが発明されているから、消すことが出来るのも、痛し痒しである。 お役所の方々もさぞや頭を抱えていることと思う。 やはり面倒だが、筆やペンの手書き文書の書き方を習うべきなのだろう。

その辺を考えて、政府は「マイ・ナンバー」なる鬱陶しいものを国民一人一人に付けようとしているが、これにもまた副作用がある。 これがために全国民が政府の監視下に置かれ、どこかの国のように、国民の言論の自由が失われ、民主主義が破綻し、独裁が生まれる。

AI(アーテフィシアル・インテリジェンス)の出現も、その様な危険を予想させる。 将棋の世界に於けるようにアーテフィシアル・インテリジエンスが、ナチュラル(ボーン)・インテリジェンス(BI)に対抗して、BI(ボ~ン)が負けるという事態にもなりかねないが、人間は「停電」を起こして、AIの息の根を止めることもできる。 これには、もちろん、自家中毒がある。 人間の側でも、生活が暗くなり、電気釜も動かず、飯も食えない有様へと転落してしまう。

「禍福糾える(あざなえる)縄の如し」とは、正に名言。