鉄道大臣

夢寐のたわごと

痛みは、痛い間だけ

考えてみれば当然のことだが、普通の人間にとっても、「痛い」って感じるのは、痛みのある間だけだ。 痛みが消えると、痛かったことの記憶は薄れ、簡単に忘れてしまう。 だから、痛さの手当は、痛みを感じている間は熱心に行うが、痛みが消えて行くに連れ、手当もなおざりになって行く。

他の人生の経験も同じだ。 痛い目にあうと、その時は、痛みの辛さや恨みは
心に深く刻み込まれるが、その痛みが薄れると、痛みを忘れ、辛さ、恨みも忘れて、次の行動に走る。

私は、十分に年をとっているので、滅多に世間や友達から「いじめられる」ことはないが、若者や子供が世間の荒波に痛めつけられてたり、友達にいじめられたりすると。その辛さや苦しさ、そして恨みは、その時は、身に滲みて、深く感じているだろうが、すぐに忘れ、やがて他人を「さいなみ」、「いじめる」側へ回ってしまう事が多いに違いない。

元々、昆虫や小動物を、さいなみ。いじめて優越感を感じ、喜ぶ傾向のある少数の人間は、痛みや恨みを簡単に忘れるばかりか、他の「人間」をもいじめて喜ぶ傾向がある。 こうした病的傾向をどの人間も少しは持っている。

翻って、「いじめられる」辛さは、いじめられている間は、自殺したくなるほど辛いだろうが、「いじめる」側の快感は、どれほどだろうか? 病的なことだが、他人を「さいなむ」喜びは、心理学者やその道の専門家に聞いてみなければわからないことだが、限りない喜びなのだろう。

大多数の人間は、「痛さ」や「恨み」は。簡単に忘れることができるかも知れないが、病的に他人に「痛み」を加える「精神病者」は、普通の人間としては数えられない。 こうした病的な特定の「他人いじめ」、「他人さいなみ精神病者」は、年齢の如何を問わず、たとえ,ハイテーンの若者であろうとも、人間とは数えられないのだから、「人権」などと言っていないで、見つけ次第、直ちに社会から隔離すべきだと思う。