鉄道大臣

夢寐のたわごと

平等という夢

人間は生まれた時から平等ではない。 人間は本来不平等である。 

さらに考えると、自然は物事を人間が行なうように、「計画的」に世界を創造したのではない。 その意味で、世に存在するものは、すべて不平等であり、歪(いびつ)である。 平等は人間の頭の中の拵えごとで、そのようにあって欲しいと人間が願っているので、「天はすべてを不平等に作っている。。。。福沢転吉」

考えてみれば、完全平等などはあり得ない。 自然は、何をも人間が言う「計画」に基づいて創造したのではなく、文字通り、自然に従って、世界を歪(いびつ)、気儘に作っている。 人間は平等であれかしと天の定めに従って願うので、平等は人間の観念の産物である。 観念は、夢ではあっても現実ではない。 しかし、人間は、その夢を追うことはできる。 追って、追って、とどの詰まりに、その夢を実現することもできる。 それが人間の定めである。

そうした夢の数々を「目標」として据え、追い求めてきたのが人間の歴史である。 そこに人間と他の動物との違いがある。 平等も「目標」の一つである。 目標である限り、その目標は努力、工夫の対象になる。 生まれながらの人間は、元々不平等に作られている。 五体満足の人間もおれば、そうでない人間もいる。 だが、たとえ歪(いびつ)であっても、壊れていても、人間は人間である。

天は、人間に努力、工夫の対象を与え、人間を「作り」、「伸び」、「成長」する生物として、この世へ送った。 

平均的人間という「観念」の産物は、統計の中には存在し得ても、現実に存在しないことは、誰にとっても自明である。 然るに、『天は人の上に、人を作らず』と語った福沢諭吉は、人間の抱くべき夢を喝破したのであり、「人間のあるべき姿」を人間に再確認させるべく、重要な一齣(ひとこま)を口にのぼせたに過ぎない。

不平等であればこそ、人間は励む。 「艱難は、汝を珠にする」のである。 人間の定めは、「励む」ことにあり、end-resultよりも励む道程(道=生涯)にある。 夢は持つべきであり、大志は抱くべきである。 しかし、大切なことは、大志に意味を認めるのではなくて、大志の実現を求める真摯な「励み」に意義を感じることにある。 励みこそ人生であり、天が与えた人間の「生きる意味」である。

「平等」は、人間の努力の目標であり、夢である。 肌の色に基づく人種差別も、性別による男女差別も、伝統・文化に繋がる身分差別も、こうした全ての差別を乗り越えて、努力の末に至ることのできる頂点に「平等」がある。 天は人間に夢を与えた。 そして、人間に夢を追う悦楽も与えた。 人間は夢を追う生物である。 あなたの心の底にも、私の心の底にも、否定し難い、消し去り難く、いまだに心の底に残り潜む「差別意識」を取り除くように努めるのが、数万年の人間の歴史を通して平等を求め足掻く人間に、あなたに、そして私に、天が与えた宿命である、と心得え、口先ばかりでなく、心の底から真摯に努めよう。