鉄道大臣

夢寐のたわごと

順番待ち

必ず、自分の順番が来ると判っていて、長時間、開店を待たされるのは、全くやりきれない。 お気に入りのスイーツを買うために、その店の前で、寒い日の朝早くから長蛇の列を作って、開店を待つっている気もちは、判りますか?  そ! そんな気もち。 それが、正しく、近づいた自分が死ぬ時を待つ老人の気もちですよ。 

もちろん、自分の死は期待はしていません。 と言って、諦めもしていません。 もしや? と、あの賢い神仏が、「忘れる」ことなど、あろう筈がないのですが、その「もしや」を願う気もちが、無い訳でないのですよ。

三途の川を渡りきる前に、途中で、おぼれ死ぬ果報者がいるかもしれません。 裁判と同じですよ。 一度、判決が下された犯罪者を再び、裁判にかけることはないのですよ。 一度死んだ者を、二度死なせるなど、いくら迂闊な神仏でも、そこまで迂闊では、神仏業は勤まらん、のですよ。 でもね。 想定外、ということは、神仏の世界にも、あり得る話です。 そんな迂闊な神仏が居るとしたら、それは迂闊な人間が、自分の様(さま)を神仏の世界へ投影するからです。 神仏は、完全です。 完璧です。 そうあらねばならないのです。 そうでなければ、神仏とは呼べません。 

そんな「埒もない」余談は別として、自分自身が、自分の死の順番を待つ立場に置かれたら、どんな気持ちになるかを白状しなさい。 その白状が、みんなのためになるのです。