鉄道大臣

夢寐のたわごと

社会的禁忌

最近、本を読んでいて、きわめて珍しい表現(言葉)にぶつかった。

「滂沱(ぼうだ)」がそれである。 私は、相当広く本を読んでいると思うが、私の記憶では、辞書は別として、普通の読み本の中で、この表現にはぶつかったことは無い。 この言葉は、「滂沱の涙」のように使う。 涙がビショビショに流れ、顔面、涙だらけの様子である。

私は男である。 昭和初期に生まれ、戦争中に成人した。 戦意の高揚、武士道賛美、軍人賛歌、が常識とされた時代に成人したのである。 当然、男であることの美徳が強調されていた。 男は雄々しくあるべきで、女々しくあることを嫌うのが、日本男子たることの一大要件であった。 

数年前、私は、長年連れ添った家内を亡くしたが、その時、滂沱の涙を流すことを、社会的に(気風として)禁じられていたので、流さなかった。 心の中で動揺はしたが、外面的には男らしくあるように務めた。

「三つ子の魂、百まで」と言うが、私は90歳である。 子供の(育った)頃の教育、社会的風潮は、「男子尊重」であった。 未だに、子供の頃の魂は保っている。 私は女子差別を認めるものではないが、「女」は男ではないとも思っている。 女のことは、男の知るところではない。 しかし、雄々しくあることは正しいことだと思っている。

世間では、男女差別がいろいろ論じられているが、私は、男女差別は「論ずる」対象ではない、と思う。 問答無用で、男は不得要領ながら、尊重の対象なのである。 たとえ、ボケでも、認知症患者であっても、不潔極まりない男であっても、「男は男」である。