鉄道大臣

夢寐のたわごと

人は変われない

「人が変わった」ようだ、という表現があるが、90年の経験からいうと、そんなことはあり得ない。 なるほど、目で見る故郷は、昔と大きく変わって近代化しているが、頭に残る故郷の風景は、そのままである。 人の心は、そう簡単に変わるものではない。 

木像に例えれば、上塗は剥げても、地塗の痕跡は残る。 上塗りで、元の作品と異なるように見せ掛けることはできるが、基礎の「塗」は上塗りの下地(背後)に残っている。

少々の改変はできても、上塗りの利き難い、他のものは、例えば、筆跡、指紋、人相、声紋。 上塗りや整形が重ねられても化粧が濃くなり、顔(地)が歪むだけで、年月を経れば、余程、用心していないと、その上塗りがポロっと剥げて、スッピン肌(元の姿)が思いもかけずに現れるものである。 「雀は、百まで踊り」は忘れない。 

軍国主義の時代に育てられた子供たちは、「往復びんた」の口惜しさは覚えているし、「気おつけ‼」、「頭(かしら)右‼」、「休め‼」、は骨の髄にまで沁み込んでいる。 今更、パワハラ、男女差別、身分差別は致しませんと言う方が可笑しい。 差別は、高齢者の時代には、誰もが認める当然だったのだ。 

それなのに年を取り、年功の故に世間の目を惹く身分に押し上げられて、立場上、差別はしません、とうそぶくのは、年齢差別の上に胡坐をかいた、白々しい裏切りである。 差別意識は、あなた方の心の底まで沁み込んでいる。 「差別はしない」とは、自分に対して嘘を言っている。 

あなた方は、あの忌まわしい戦争の時代の申し子だ。 少年航空兵時代の、そして「天皇陛下万歳を叫んで、敵陣へ突貫した兵隊たち」の生き残りだ。 今更、差別意識が無いとは、よく言えたものだ。 自分の心の底に潜む差別意識は、認めるべきだ。 高齢者はいい加減に幕引きを図って、世間への面出しを遠慮すべきなのだ。