鉄道大臣

夢寐のたわごと

料理人(りょうりにん)

ある著名な料理人は、独りでいる時には、インスタント・ラーメンで済ますことがある、と聞いたことがある。 料理は、自分を含めた誰か食べる相手を想定して作るものである。 誰も食べない料理は、普通は作らない。 出来れば、自分はともかく、食べる相手が旨いと感じるように作るものである。 旨くない料理は、仮に作った(できた)とすれば、自分用にするか、自分でも、食えないほど不味い料理は捨ててしまう。

学校給食、老人ホーム、など、集団が食べることを想定して作る料理は、その集団の平均的好みや禁忌を想定して作る。 その平均が判らないときには、様々な「検食法」を使って、平均的好みなり、禁忌なりの発見と適用に腐心する。 が、平均は、あくまで平均であって、個々人の好みや禁忌ではない。 個人の好みや禁忌ではないとは、第三者的個人ないし集団の「好み、禁忌」を反映するのみである。 ここでは、個人は、いずれにしても除外されている。 

翻って、以下の文章は、ある老人ホーム管理者へ入居者のために準備する食材についての入居者からの助言に対する回答だが、この回答はこの老人ホームの食事提供業務が、如何に「縦割り」にされ、入居者個々人のニーズが無視されているかを如実に物語っている。

★厨房が工夫というよりは 管理栄養士の力量になってしまうのでしょうか・・・。★

確かに、管理栄養士という職責は、個々の入居者の食のニーズに関わりのない、食事「一般」の栄養(問題)を扱う使命を担っている。
 
「木を見て、森をみない」ことは、人が良く陥る誤りである。 逆に、「森を見て、木を見ない」誤りもまた、侵されることが多い。特に、為政の立場、管理監督の立場の人が陥りやすいのが、後者の誤りである。 彼ら、物事を大局的に展望することに慣れているので、「味噌も糞も一緒」の誤りをも犯し易い。 このような場合、病院や老人ホームなど、傷物(?)中心の施設では、視点は当然、数の多い「糞」に据えられる。 だが、現実の苦情は、多くの場合い、「味噌」から投げかけられる。

大げさに言えば、ここで「順逆を誤る」の弊が起こるのである。 「病院の食事と老人ホームの食事」は、どちらも不味いというのが、世間一般の受け取り方である。 「好きこそものの上手なれ」という。 個々の入院患者、個々のホーム入居者にテイラーメイドされた食事を提供してやることが、患者、老人の健康と幸せに繋がる。 不味いものは、食っても身につかない。 個々の患者、老人の食の幸を願うなら、「旨いもの」を、身体の弱った患者や先の短い老人達にくわせてやれ!

なお、最後に蛇足だが、「医者の不養生」というが、病院の医者、老人ホーム職員で、毎日の昼の弁当を病院食や老人ホーム食の代わりにインスタント・ラーメンで済ませている連中が居ないことを、心から念ずる。