鉄道大臣

夢寐のたわごと

競う(きそう)

きそ・う〔きそふ〕【競う】
互いに負けないように張り合う。競争する。「技 (わざ) を―・う」「高さを―・う」
………(goo辞典)
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私は、誤解していた。 勝敗を争うゲームは、勝者の奢りと敗者の嘆きを生み出すので、二人以上の勝敗はよろしくないが、自己ベストに励む努力の方が、複数の人間が争うゲームより優れている、と思っていた。 ところが、「競う」こと自体が、一見、独りで行っているようでも、その実、「仮想、仮空」の誰かと争っているのである。 厳密な意味で、「自己」のベスト記録との対比で、本当に自己と競うのなら問題はないのだが、オリンピックや世界の舞台で争うゲームでは、いずれにしても、「誰か」と争っている。 

ちなみに、日本語では、自己の「過去の最高記録」と比べることは、「争う(競う)」とは言わない。 私の誤りは、「争う(競う)」という言葉の誤解に基づいていた。 このお粗末な誤解を別にしても、やはり、勝敗を争うことは、結局は、「戦争」に繋がるので、良くない。

戦争(の観念)に至る途上(過程)に、「一致団結」、「ワン・チーム」,「敵対心」、「挙国一致」、「愛国心」、等があるが、今一つ途上にあるのは、「マイ(My)=ミー・ファースト」の精神である。

現代は、混乱の時代であるが、この混乱は、政治家、マスコミ、世の識者達が、一般受けを図って乱用する言葉から来ているように思える。 言葉は、恐ろしい武器である。 民衆を簡単に惑わせる。

日本語の場合、従来からの古語にも十分に注意を払うべきであると共に、下手な新語、流行語、デジタル用語などの使用にも注意すべきであると思うし、意味の良くわからない和製英語カタカナ語、等にも、注意が肝要だ。 さらにまた、一見、通常の言葉のように思える新語、例えば、「真逆(まぎゃく)」=正反対なども、紛らわしいマスコミ語である。 この点については、テレビに出演するいわゆる識者達が、知ったか振りで乱用する若者達に迎合する新語にも、注意を促したい。