鉄道大臣

夢寐のたわごと

青い目の女性に似つかわしくない言動

「芸は売っても,身は売らない」

少なくとも,数百年の伝統の内に育てられた日本文化に女性特有の言動がある。 日本女性特有の仕草、話し方、服装、持ち物、扇子、手鏡、匂い袋、手下げ袋、髪飾り、etc. このような日本女性特有の仕草、風采を身につけた上で、さらに自らも必要な修行を終え、自らも芸者としてのお披露目を浅草でした後、東京谷中で芸者置屋を開いているオクッスフォード大学博士が存在することは、以前に
報告した(詳しくは、ウィキペデア:紗幸(さゆき):フイオナ・グラハムを参照のこと)。 

現在は、慶應義塾大学早稲田大学上智大学、などで講師を勤め、日本の芸者文化について講義しているが、「芸者に通常期待される」次のような言動を日常的に、また営業上どのように採るのか、不徳にして私には判らない。 大学講師とも成れば、日常的には芸者言動を振る舞っておれないのじゃ無いかと私は疑っている。 いわば、日常会話、仕草、振舞と営業上の会話、仕草、振舞と「外国で」、それもその国においてですら特異な会話、仕草、振舞と言う二刀流で行うのである。

ご承知のように,次に挙げる言葉と仕草は、日本女性に特有である。
~ 媚び(こび)を売る
~ 品(しな)を作る
~ 襟を抜く(着物姿)
~ 拗(す)ねる

大学講師が芸者姿で、教壇に立つことなど無かろうし、第一、大学側がゆるす筈が無い。 さらに、たとえ、商売であるとはいえ、青い目をして(日本女性に成りきらない限り:日本永住権は持っているそうだが)お座敷言葉を使うとも思え無い。 観光目的や「冗談」が目的で無ければ、紗幸女史を芸者として「買う」ことなど想像もできない。

仮に、紗幸女史を芸者として買えば、まるで「豆腐のオカラ」と買う(と遊ぶ)ようなものだから、可愛気の無いオカラに金を払うのはもったいない。 と言うことは、日本の男は、「媚び」、「品」、女性の(着物を着た)「襟足のすんなりとした感じ」,女性の「拗ねた可愛らしさ」が醸し出す(かもしだす)色気、可愛げ、に金を払うのは厭わない(いとわない)が、「単なる女性」を求めて金を払う訳では無いと言うことでもある。 そこに、「芸は売っても、身は売らない」日本の芸者の心意気の余地がある。

紗幸女史は、日本の芸者芸術を研究しているそうだが、そのためには、「華岡青洲の妻」の例もある。 芸者になりきる覚悟が必要があると思う。 「講師」じゃ、第三者だ。 客観的の芸者を楽しむのと、主観的に芸者を振る舞うのは、別の問題である。 そうで無ければ、「身は売らない」芸者の芸術性は、判らないと思う。 私は、男で、文字通り第三者であるが、日本人の男の成人という意味では、紗幸さんに勝る立場に居ると思う。